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東京高等裁判所 昭和59年(う)732号 判決

本籍

東京都保谷市中町六丁目一八九四番地

住居

宮城県桃生郡矢本町大曲字堺堀一二五の一

会社役員

貫井一雄

大正一五年三月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五九年二月一五日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は検察官佐藤勲平出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

一  原判決を破棄する。

二  被告人を判示第一及び第二の罪につき懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に、判示第三の罪につき懲役四月及び罰金一〇〇〇万円に処する。

三  右各罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

四  原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人樋口和博、同横山唯志、同佐藤英二連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官佐藤勲平名義の答弁書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意のうち事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決が認定した被告人の昭和四六年度ないし同四八年度の各所得税逋脱の基礎となる各所得金額を争い、被告人には当時の全財産を合算しても右認定のような多額の貸金利息等の収入に見合う財産増が認められないのに、原判決は被告人の貸金業における事業所得につき、現実に支払を受けていない利息を被告人が受領したものと認めたり、現実に利得となり得ない債権譲渡利益を積極的利得と認めたり、貸金の多くが貸し倒れとなっているのにこれを認めないなどの過誤の結果、右のような各年度の所得額を過大に誤認したものであって、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである(所論中には、原判決の所得額認定理由の説示に関して、理由不備ないし法令適用の誤りがある旨の主張もあるが、内容的には原判決の認定理由の部分的な不合理または前後矛盾等を攻撃するに過ぎない趣旨のものと認められ、事実誤認とは別個の独立した論旨であるとは認められない。)。

そこで、原審記録及び原審で取調べられた証拠物等に当審で取調べた証拠を併せ検討し、所論が特に個別的に争う貸付の相手方の順に当裁判所の判断を示すと、次のとおりである。

一  横田忠次関係について

(一)  貸金利息・損害金等の収入について

関係各証拠によると、横田忠次は昭和四三年頃から被告人から継続的に金銭貸付けを受け、昭和四五年末において貸付元金の合計残高は五五〇〇万円であるとされていたが、昭和四六年及び四七年中において、横田は約定の月一割の割合による利息の支払、あるいは元金の返済、または元金返済や利息の支払が遅れた場合の右とほぼ同率の損害金として、次のような支払等をしたことが認められる。

(1)  昭和四六年一月には、同月一八日に支払う約束であった利息五五〇万円(前記貸付残元金五五〇〇万円に対する月一割の率によるもの)について、横田は同日に支払うことができず、同月二〇日に被告人から新たに一〇〇〇万円を借入れ、その際利息として一〇〇万円を天引され、残った九〇〇万円の中から右五五〇万円を支払ったが、同月三一日にはあらかじめ前記残元金五五〇〇万円の返済のため、横田名義で被告人に対し同日付で振出されていた同金額の小切手を銀行取立に廻したところ支払がなかったとの理由で、被告人からその罰金として五五〇万円の支払を要求されたので、横田は前記九〇〇万円の残額三五〇万円に他から都合した二〇〇万円を足して右の支払にあてた。

(2)  同年二月には、同月一八日に支払う約束であった六五五万円の利息(前記のとおり一月二〇日に新たに借入れた一〇〇〇万円が元本に加算されたものの一割に、被告人の要求で更に五万円加算されたもの)について横田は支払うことができず、被告人の要求により右利息額に損害金を加算したものを元本に繰り入れることにし、同月末の貸金残元本は七二三〇万円とすることに合意された。

また、同月二六日には横田がかねてから金利支払分として振出し被告人に差入れていた五〇〇万円の小切手の決済として、横田は他から金策して現金で被告人に支払い、右小切手(番号HB〇六七〇二八)の返還を受けた。

(3)  同年三月には、同月一八日に支払う約束の六五五万円の利息(内容は前記と同様、以下同金額のものも同じ)について、横田は支払うことができず、二月の場合と同様にこれを元本に繰り入れることにし、三月末の貸金残元本はこれによって八〇〇〇万円とするごとに合意された。

(4)  同年四月には、同月一八日に支払う約束の六五五万円の利息を、横田は翌一九日に金策して現金で支払い、同月二二日に元金の一部返済として一〇〇〇万円を銀行渡の小切手で支払い、同月二六日には被告人から残元本(右一〇〇〇万円の返済により七〇〇〇万円となった)の返済ができなかった罰金として七〇〇万円の支払を要求されたので、金策して現金でこれを支払った。

(5)  同年五月には、同月一八日に支払う約束の六五五万円の利息について、横田は金策して現金でこれを支払った(そのほかに横田が原審証人尋問において供述する、同月六日に元金の一部として一〇〇〇万円を被告人に返済したという点は、横田の記載していたノートに「支払済」の記載はあるものの、これに伴う貸金元本残高の減少の記載がなく、他の四月と八月の元金の一部返済の場合は右残高の減少が記載されていることと対比すれば、果たして実際に右返済がなされたかにつき疑問を抱かざるを得ず、右疑問を解明するに足る事情も発見見できないので、結局は右五月六日の一〇〇〇万円返済の点はこれを認めることができない。)。

(6)  同年六月には、同月一八日に支払う約束の七〇〇万円の利息を横田は支払うことができず、これを元本に繰り入れることになり、同月末の貸金元本残高は八七〇〇万円とすることに合意された。

(7)  同年七月には、同月一〇日に支払う予定であった八七〇万円の利息(前記六月末の元本残高八七〇〇万円の一割に相当するもの)を横田は支払うことができず、被告人の要求により損害金を加算して額面九〇〇万円の小切手を新たに振出し交付して支払の延期を承諾してもらい、同月二七日に被告人が銀行取立に廻した右小切手を、横田自ら金策して同月二九日現金で買戻しを行ってその決済をし、その間の同月二一日にも、以前の利息支払が遅れた損害金分として被告人に振出し交付していた額面二〇〇万円の小切手について、現金で被告人に支払って右小切手(番号HA一〇六九〇)の返還を受けた(なお、利息支払が遅れた罰として残元本に三〇〇万円が加算され、同月末の元本残高は九〇〇〇万円とされた。)。

(8)  同年八月には、同月一〇日に支払う予定であった八七〇万円の利息(内容は前同様)を横田は支払うことができず、二月、三月の場合と同様にこれに損害金等を加算して元本に繰り入れることになり、元本残高に一旦一〇六二万二七〇〇円加算することが合意されたが、同月二一日頃横田は金策して利息として一〇〇〇万円(右加算額から端数は免除してもらったと見られる。)、元本の一部返済として一〇〇〇万円を各支払ったので、貸金元本残高は改めて八〇〇〇万円とすることに合意された。

(9)  同年九月及び一〇月には、九月一八日及び一〇月五日に、横田は貸金残元本に対する利息として各九〇〇万円を現金で被告人に支払ったが、右一〇月五日の支払の際、被告人から八〇〇〇万円の元金に対し九〇〇万円の利息は高過ぎたとして、改めて各八〇〇万円を利息の支払とし、超過分の二〇〇万円は元本の一部返済に充当する旨申し出があり、横田も了承してその旨合意され、残元本は七八〇〇万円とすることにされた。

(10)  同年一一月及び一二月には、横田は右残元本に対する利息支払が全くできなかったので、被告人の要求により利息相当額に損害金を加算して元本に繰り入れることになり、その結果昭和四六年末における貸金元本残高は九六五〇万円とすることに合意された。

(11)  翌四七年の一月二五日、横田は右残元本に対する利息として一〇〇〇万円(右残元本に対する一割に遅延損害金を加算したもの)を金策し、銀行の小切手で被告人に支払った。なお、横田が以上の分とは別個に門間賢司からの北海道山越郡長万部町字共立の土地の買受に関し、被告人から借入れた買受代金の利息として、昭和四七年二月末頃までに合計二五〇万円を支払ったことは、原判決の認定・説示するとおりである。

以上のとおり認められるから、原判決が横田忠次の被告人に対する利息・損害金等の支払として、昭和五六年一月一八日分の五五〇万円、同月二〇日の一〇〇万円、同月三一日の五五〇万円、同年二月二六日の五〇〇万円、同年四月一九日の六五五万円、同月二六日の七〇〇万円、同年五月一八日の六五五万円、同年七月二一日の二〇〇万円、同月二九日の九〇〇万円、同年八月二一日の利息分としての一〇〇〇万円、同年九月一八日及び一〇月五日の各九〇〇万円中の各八〇〇万円の部分、更に翌四七年一月二五日の一〇〇〇万円、及び同年二月末頃までの共立土地買受代金関係の二五〇万円につき、その支払があったと認めたのは相当であるが、その余の昭和四六年二月一八日の六五五万円、同年三月一八日の六五五万円、同年七月一〇日の八七〇万円、同年八月一〇日の八七〇万円、同年九月一八日及び一〇月五日の各九〇〇万円中の各一〇〇万円の、合計三二五〇万円についても利息等としての支払があったと認めたのはこれを是認することができない。右金員は利息又は損害金として現実に支払があったものではなく、又は利息として支払後、改めて元本返済に振替が合意されたものであって、利息制限法の制限を超える利息・損害金は約定の履行期が到来してもなお未払である限り、貸主は任意の支払を単に事実上期待し得るにとどまり、収入実現の蓋然性があるものとはいえないことから、所得税法にいう「収入すべき金額」に該当しないことは最高裁判例(昭和四六年一一月九日第三小法廷判決・民集二五巻八号一一二〇頁)の示すとおりであって、この理は右超過利息・損害金を元本に繰り入れる合意をした場合でも変りはないものというべきであるから、右三二五〇万円については現実に横田から支払があったと認められないことはもとより、被告人において当時法的ないし経済的に収入すべき権利が確定したものと認めることもできない。そうすると、原判決は被告人の昭和四六年度の横田忠次関係の貸金利息等の収入額につき、右三二五〇万円を過大に認定した事実誤認があるというべきである。

なお、所論は右三二五〇万円以外にも被告人が現実に支払を受けていない利息・損害金が多額にあるように主張するが、そのような事実は認められない。所論は横田忠次には昭和四六年中に被告人に対し合計一億三八六〇万円という巨額の元利金等を支払う資力がなかったことを強調するけれども、右認定によれば横田の同年中の右支払額は利息・損害金合計七四一〇万円、元金返済合計二二〇〇万円の合計九六一〇万円であって、この程度の金額は横田が原審で証人として供述するような当時の不動産売買等による資力状況からすれば支払が可能であったと認めるに妨げがなく、また、所論が横田の右供述する個々の支払が多額であるのに、取引銀行等にこれに見合う預金の入出金等の裏付けがほとんどなく、右供述に信用性を認め難いという点は、横田の供述によれば同人は当時取引銀行にはほとんど大口の預金等はなく、あちこちから金策したり、自己の営業上取扱う不動産を売却した代金から支出したりして被告人に対する支払にあてていたが、その個々の支払の資金源については、当時被告人の要求に応ずる支払に追われるあまり異常なまでの精神状態に陥っていたこともあり、いちいち具体的には記憶していないというのであって、具体的に個々の支払金の出所を明確にできなくても無理からぬ事情があったというべきであるし、一部であるにせよ預金関係の裏付けを伴う支払もあること、横田のノートにも前記認定し難い分を除いては横田の供述と合致する元利等の支払済の記載のあること、またその一部には支払によって被告人に差入れられていた借用証代り及び取立用の横田振出の小切手が横田に返還されているという裏付けを伴うものもあること等に鑑みれば、右横田の供述には信用性を認めるに足り、右所論の点も右認定の妨げとはならない。

以上のとおりであるから、原判決の横田忠次関係の利息・損害金の収入についての認定は、前記三二五〇万円の部分について過大に認定した事実誤認があるが、その余の認定部分については誤認があるとは認められない。

(二)  債権譲渡益について

関係各証拠によると、次のような事実を認めることができる。

(1)  横田忠次は被告人の仲介により、昭和四七年一月二二日、門間賢司から北海道山越郡長万部町字共立所在の原野約七〇町歩を買受けた際、五四〇〇万円の売買代金支払のために被告人から同金額を月一割の利息支払の約束で借受け、被告人に対し、額面五五〇万円(うち利息分五〇万円)、同二二〇〇万円(うち利息分二〇〇万円)、同三四一〇万円(うち利息分五一〇万円)の各小切手を振出したが、その後同年二月末頃までに五五〇万円と二二〇〇万円の小切手は決済されたものの、三四一〇万円の小切手(同年四月二日付の振出)については、横田は、支払資金がなく決済の見込みがつかないでいた。

(2)  ところが被告人が右土地のうち五筆、約三〇町歩を他に転売してその売却代金から右三四一〇万円を決済するよう横田にすすめたので、その仲介により同年三月二五日頃、横田は右約三〇町歩の土地を斉藤忠亮に六五〇〇万円で売却し、斉藤からその代金支払のため同人振出にかかる額面合計六五八八万四〇〇〇円(支払期日までの金利を加算したもの)の約束手形四通を受取ったが、被告人との間でその頃右手形を銀行で割引きできた場合は、その割引による取得金を前記三四一〇万円の小切手の決済にあてることとし、同小切手は取立に廻さない約定のもとに、被告人を通じてその取引先である東邦信用金庫西荻窪支店へ右手形四通の割引依頼をし、右手形を前記土地の関係書類と共に同支店に預けた。

(3)  ところが被告人は、その後右手形の割引の見込みがないことを察知し、自己が横田に対する債権の決済のため、右手形四通を取得する権利があるような文面の書類を勝手に作成し、これを前記支店側に提示して右手形四通を同支店から引取ったが、そのことを横田に告げないままで同年四月三日、横田の前記三四一〇万円の小切手を取立に廻し、翌四日頃これが不渡となるや、同月一〇日東京地裁八王子支部に右小切手債権を被保全権利とする仮差押命令の申請をし、横田所有の宅地等に仮差押をなし、更に同月二〇日同支部に右小切手金請求訴訟を提起した。

(4)  そこで、横田は被告人の右のような仕打に憤概し、弁護士下川好孝に相談したところ、被告人に対しては巨額な利息の過払分があってその返還請求ができるように教示され、同弁護士を通じて被告人側の代理人である弁護士と交渉をした結果、同年一一月二九日、横田と被告人との間で次のような内容の和解契約が成立した。すなわち、〈1〉被告人は横田に対し、過払利息として一一〇〇万円を返還する。〈2〉被告人は横田に対する前記訴訟を取下げ、仮差押の取消手続を行なうほか、横田に対する三四一〇万円の小切手債権を含むすべての債権を放棄し、被告人の所持する横田振出の右小切手等六通を横田に返還する。〈3〉被告人は斉藤忠亮振出にかかる前記約束手形四通を一旦横田に返還するが、横田は右手形の自己の裏書を抹消したうえ、斉藤忠亮に返還するために被告人に預ける。〈4〉横田は被告人に対して、前記共立の土地五筆・約三〇町歩が被告人の所有であることを認める(なお、和解契約書には、右土地につき、横田から斉藤忠亮名義に売買による所有権移転登記がされているが、横田と斉藤間に売買は行われていないことを確認する旨の付記がある。)。

(5)  そして、右和解内容はそのとおり実行されたが、その後右斉藤忠亮振出の手形四通は、同人に支払請求することも返還されることもないまま、被告人の代理人である佐藤英二弁護士の手元に保管されていたところ、右返還がないことについて、横田からも斉藤からも異議を唱えた形跡はないが、これは次のような事情によるものと考えられる。

すなわち、前記手形不渡の前後頃斉藤忠亮名義に登記された前記土地五筆については、売買当時は地目は原野であったが、その後管轄法務局においてもともと畑であったとして職権により畑に地目変更の登記をし、昭和四七年四月二〇日頃同局から斉藤に対しその旨通知すると共に、北海道庁側からも翌月一一日頃斉藤に対して、同土地は農地法六一条により、農業の用に供する目的で国から前所有者に売渡された土地であったのに、その後の権利移転が同法七三条による農林大臣の許可を得ていないから無効であるとして、斉藤名義の所有権移転登記を抹消するよう勧告がなされた(右の事情は、横田が自己名義に所有権移転登記をした約四〇町歩についても全く同様である。)。そこで斉藤忠亮は被告人の助言により横田に対し、同年五月二〇日付で地目が原野であったのに畑に変更されたことを理由に右土地の売買契約を解除する旨の通告書を発し、これはその頃横田に到達した(原判決はこの間の事情を認定理由の説示でほとんど触れていないが、右事情は本件手形債権の帰越に関し顧慮せざるを得ない重要な事情である。)。

そこで、以上の事実関係のもとに原判決が認めたような債権譲渡益が被告人に発生したか否かを検討すると、まず前記和解契約が成立する前の段階では、斉藤忠亮振出にかかる前記約束手形四通につき、横田から被告人に債権譲渡がなされたこと自体、これを認めることができない。横田は右手形が銀行で割引できることを条件として、その場合に被告人に割引金でもって前記三四一〇万円の小切手の決済にあてることを許容したと見られるのであるが、右条件は成就しなかったうえに、被告人が右手形を前記支店から引取ったのは、横田の意思に基づかない不正手段によるものに過ぎず、横田がこれを追認した事実も認められないからである。次に、前記和解契約によって当該債権譲渡があったかを考えると、その以前に手形振出の原因たる売買契約は斉藤から横田に解除通知がされており、非農地である原野として売買した土地が、農地法により自由な売買ができない農地であることが判明した以上、少なくとも売買の目的物に隠れた瑕疵があって、そのために契約をした目的が達成不能の場合にあたるというべきである(斉藤忠亮は原審の証人尋問において、本件土地を非農地として分譲目的で買受けたが、地目変更によりその目的が達成不能になった旨を供述している。)から斉藤は民法五七〇条、五六六条により売買契約の解除権を有し、これを行使した結果、右売買契約は適法に解除されたものと認めるべきであり、その結果未履行の売買代金債務は消滅したものと認めるべきである。そうすると、右代金支払のために振出された本件手形四通は、斉藤と横田間では原因関係消滅の抗弁をもってその請求に対抗し得るものであり、横田は斉藤に対し原状回復義務として右手形の返還義務も負うものであって、被告人も当然にその間の事情を知ったうえで横田との前記和解契約を結んだものと解すべきであるから、右手形が横田・斉藤間の売買を離れて独立の経済価値を有すると認識していたものとは考えられず、前記和解内容の〈3〉項をその文字どおり履践し、斉藤忠亮に返還する意図で横田と右条項を合意し、右手形四通を預かったものと認めるのが相当である(横田も原審における証人尋問において、右趣旨で手形を渡したことを認めている。)。そうすると、右和解契約によっても、右手形債権が横田から被告人に譲渡され、又は右手形の返還請求権が放棄されたと認めることはできない。被告人がその後斉藤忠亮に右手形四通の返還を実行していないとしても、そのことが右認定を妨げる事情になるとはいえない

以上のとおりで、原審検察官主張の債権譲渡益の発生は、当該債権譲渡の事実もしくはこれと同視すべき事実が認められないのでこれを認めるに由がないが、更に原審検察官が予備的に主張した代物弁済による同額の経済的利益取得の有無について見ると、前記和解契約の〈4〉項において、横田が斉藤に売渡した土地はその売買契約を解消し、改めて被告人が取得することとされたのであるが、これによって被告人が直ちに本件手形債権額又は横田・斉藤間の売買代金相当額の経済的利益を得たとすることはできない。前認定のとおり右売買契約は非農地としての売買であったのに、実は農地であって自由な売買はできないという重大な瑕疵が判明し、その理由で解除されたのであり、農地法上の許可を得ない無効な権利移転であるとして所轄官公庁から所有権移転登記の抹消を勧告されている状態であれば、被告人としては横田の門間賢司との売買契約上の地位を引き継ぎ、将来右土地が農地でなくなったときに完全な所有権を取得できる期待権、もしくは改めて農地法所定の手続を踏んで農地として右土地を取得すべき期待権等を得たに過ぎないと解されるのであって、非農地として自由に処分できることを前提とした横田・斉藤間の売買の取引価格相当額の経済的利益をこれによって得たものとは到底認められない。すなわち被告人は当面はせいぜい農地としての価格にあたる経済的利益を得たと見られるに過ぎず、むしろ門間・横田間の売買契約を解除して、門間から売買代金の返還を受ける方が得策であったと考えられる。したがって被告人としては、横田に対する前記三四一〇万円の貸付債権の回収を確保するために、将来において右土地が農地法の適用から除外されるのを待つか、又は横田・門間間の売買契約を解除して門間から売買代金の返還を受けるかのいずれかによる目的で、横田から右土地についての権利を取得したものと認めるべきであって、右権利は多目に見積っても右三四一〇万円を超える経済的価値を有していたとは認められない。そうだとすると、差益の発生は認められないから、右代物弁済による手形債権譲渡益と同額の経済的利益取得の事実も、これを肯認することができない。

以上のとおりであるから、原判決が昭和四七年度において被告人に前記約束手形債権と小切手債権との差額につき債権譲渡益が発生したと認定したのは、事実の誤認である。

所論はこの点において理由がある。

(三)  貸倒損について

関係証拠によると、被告人の横田忠次に対する昭和四五年一二月末における貸付金の元本残高は、当事者間においては五五〇〇万円とされていたが、右金額にはそれまでに横田が利息として支払った分を一部元本に対する返済として差引いて算出した誤りがあるので、その分を修正すると、右時点における元本残高は六八三五万円であったと認められるところ、その後において前認定のとおり、新たに一〇〇〇万円が貸付けられ、元本返済として合計二二〇〇万円が支払われているので、これらを増減すると、前記被告人と横田との和解契約当時の貸付元本残高は五六三五万円となるが、被告人は右債権を右和解契約により放棄したもので、しかも当時横田から右金額を回収することは不能であったと認められるから、被告人は昭和四七年度において右五六三五万円の貸倒損失を生じたと認めるべきである。すると原判決がこれを四八三五万円であると認めた点にも事実の誤認があり、八〇〇万円の貸倒損の増は前記債権譲渡益の全部減と共に、昭和四七年度の所得算出上原判決の認定を修正すべき因子となる。

なお、所論は前記三四一〇万円の小切手債権のうち、元金相当額である二九〇〇万円についても、被告人は右和解によって債権放棄したのであるから貸倒損失と認めるべきである旨主張するが、前認定のとおりの事情で被告人はこの分の債権放棄に対しては、横田忠次からその代償として、前記横田が斉藤忠亮に売渡した土地の権利を改めて被告人に譲渡されていると認められ、門間との売買契約を解除するなどすれば右二九〇〇万円を回収することは不能ではなかったと考えられる。そうすると、この分については債権を全く放棄したものとはいえず、これに代る権利を取得しているのであるから、その権利を行使してもなお右債権額が回収不能となったことが認められない限り、貸倒損失と認めることはできない。原判決のこの点の説示もいささか表現不十分であるが、結局右と同趣旨をいうものと理解すべきである。

よって、右部分に関する所論は採用することができない。

二  五菱興業株式会社関係について

(一)  貸金利息・損害金等の収入について

原判決が挙示する関係各証拠を総合すると、原判決がこの関係において認定した事実は、後記(1)、(2)の点を除いてはこれを是認することができる。

所論はまず総論的に、原判決が認定の根拠とした樋笠岩雄作成の「一覧表」及び「明細書」の内容の正確性ないし信用性を争い、その理由として五菱興業株式会社(以下単に五菱興業という)の経理の実情、特に手形、小切手関係の記帳事務等に関する、原審証人渡辺重明・同樋笠岩雄の各供述が相矛盾することを主張するが、右両者の供述に矛盾があることは所論のとおりであっても、双方の供述内容を比較すれば、それは渡辺が右事項に関し責任転嫁的態度に出ていることによるためと見られるだけであって、右事項に関しては樋笠の供述の方に信用性があると認められ、同人の原審における供述によれば、同人が前記「一覧表」及び「明細書」を作成した経過、その記載内容の根拠とした証拠資料等については、すべて原判決が認定したとおり(原判決の三二丁表一行目から同丁裏六行目まで)であると認められるから、右のような作成経過、その根拠とした証拠資料等に鑑みれば、前記「一覧表」及び「明細書」の記載内容は正確であって信用性があるものと認めるべきである。また、所論は、五菱興業には被告人に対し振出した手形及び小切手を決済する資力が乏しかったため、被告人は同社との特別な貸借条件を配慮し、被告人自ら資金を出して右手形及び小切手の決済をしたことが多かったので、同社振出の手形及び小切手に決済されているものがあるからといって、すべて同社から被告人に支払があったことにはならない旨の原審における主張を繰返しているが、原審証人渡辺重明の供述によれば、五菱興業が被告人から貸付を受けた大口・小口の資金の利息分の支払のため被告人に振出した約束手形又は小切手の決済については、同社で決済の都合がつかない場合は被告人に頼んで手形又は小切手を書き替え支払延期をしてもらうか、被告人から新たに貸付を受けて(その借入分の手形等を差し入れて)その金で決済をしていて、なんら特別の扱いを受けたことはないことが認められるから、右主張もその前提を欠くものでこれを採用し難い。

次に、控訴趣意書の個別的主張について検討すると、その一の三三〇〇万円(昭和四八年五月一〇日頃支払とされるもの)のうち三〇〇万円については、前記渡辺重明の供述によれば、この分は後記のとおり同人が株式会社松島建築研究所の運営資金として同年四月二四日頃、被告人から五〇〇〇万円を借受けた際、その謝礼金として三〇〇万円を上乗せして返済することが合意され、書面上は五三〇〇万円を貸付ける旨記載されたことに対応するものであることが認められるから、これが利息収入であることを免れるものではない(なお、三〇〇〇万円については後記のとおりである。)。

また、その二の昭和四六年一一月四日の三〇〇万円及び同四七年三月一五日の七〇〇万円、更にその三の同年六月二五日の七六万円については、前記樋笠岩雄作成の「一覧表」及び「明細書」と右樋笠の原審における供述を併せ考えれば、いずれも当該手形又は小切手金額がその頃決済されたことを認めることができる。

所論のように右決済を裏付ける銀行等の取引記録が提出されていないとしても、前記「一覧表」及び「明細書」に信用性が認められる以上、右認定が不合理であるとはいえない。よって、以上の分が利息として支払がなかったという所論はこれを採用し難い。

しかしながら、原判決が利息として支払があったと認定したうち、次の部分についてはこれを是認することができない。すなわち、

(1)  昭和四六年一二月二〇日、五菱興業仙台支店出金勘定の五〇万円については、前記渡辺重明の原審における供述によると、これはその直前頃同社が被告人から寸借した五〇万円の元金の返済であって利息としての支払ではないことが認められるから、原判決がこの分も利息の支払と認めたのは誤りである。なお、右五〇万円は原審検察官主張の昭和四七年度及び四八年度における、被告人の五菱興業に対する未収利息の計算基礎となる累積借入元本額には含まれていないと認められるから、右未収利息計算上はその支払を除外して計算すべきであるが、原判決が利息としての支払であることを認めなかった昭和四七年五月一八日及び同年六月五日支払の各五〇〇万円について、未収利息の計算上これが累積元本に対する利息として支払われたことを前提とする検察官主張の計算額をそのまま認めているのは不合理であって、少なくとも右未収利息の計算上は被告人の利益のために、右各五〇〇万円は元本として返済があったものとして取扱うのが相当である。原判決の以上の関係の事実認定は事実の誤認であってこれを維持することができない。

(2)  次に、昭和四八年五月一〇日頃支払があった三三〇〇万円のうちの三〇〇〇万円については、関係証拠によればその支払に至った経過等は次のとおりであると認められる。

(イ) 五菱興業株式会社(代表取締役渡辺重明)は昭和四六年六月頃から宮城県桃生郡矢本町において、約一五万坪の土地買収及び造成の事業を始めていたが、その頃から右事業資金のため被告人から大口又は小口の金銭貸付を受けるようになり、利息は月九分の約束で次々と借入を継続していたところ、大口の元本は容易に返済することができず、昭和四七年七月頃同社は倒産するに至った。

(ロ) 右五菱興業の活動期間中、代表者である右渡辺は被告人からの前記事業資金の借入に際し、矢本新平の保証のもとに五菱興業振出の約束手形又は小切手を元本返済又は利息支払のために被告人に差し入れていたが、右倒産の直前頃は五菱興業名義の手形・小切手の信用に不安が持たれたので、渡辺は五菱興業の会長で後援者である荻原堯春が経営する株式会社京橋堂振出の約束手形又は小切手を同人から借りて、これを担保に被告人からなお資金貸付を受けたことが数回あった。しかし、右京橋堂も五菱興業の倒産後しばらくして倒産した。

(ハ) その後、昭和四八年四月一七日頃、被告人と前記矢本新平との間で、五菱興業の被告人からの借入についての保証債務が元利合計一億四五〇〇万円の残高であることを確認したうえ、矢本が被告人に対し右のうち一億円を支払うことにより、矢本・被告人間の債務一切を精算する旨の合意が成立し、右一億円は同月二三日頃矢本から被告人に支払われたが、その結果矢本・被告人間の同月一七日付合意書に添付された五菱興業振出の手形の目録中(1)、(2)、(3)、(4)、(8)に記載された各約束手形五通(額面合計一億八〇〇万円)については、その頃被告人から五菱興業の渡辺に返還された。

(ニ) 一方、被告人と渡辺重明との間では、同月二四日頃前記一億四五〇〇万円の残債務のうち、矢本新平が弁済した残りの四五〇〇万円について、前記手形目録の(5)、(6)、(7)記載の約束手形三通(額面合計三七〇〇万円)分の金額を、渡辺が同年八月三〇日までに被告人の資金援助により新たに事業を起してその利益から支払うこととし、その余は免除する旨の合意が成立し、その旨の合意書が作成されたが、これと並行してその頃被告人は渡辺重明に対し、矢本新平から支払を受ける一億円のうちから五〇〇〇万円を渡辺が五菱興業の倒産後設立した株式会社松島建築研究所の運営資金として新たに貸村けることとし、渡辺との間で右五〇〇〇万円に三〇〇万円の謝礼金分を上乗せした五三〇〇万円を貸付ける旨記載した合意書が同年四月二二日付で作成され、同月二四日頃被告人から渡辺に対し右五〇〇〇万円が貸付けられたが、その際渡辺側は被告人に対し前記謝礼金を含む五三〇〇万円に、更に三〇〇〇万円を上乗せした額面八三〇〇万円の松島建築研究所名義の小切手を翌月一〇日付で振出し交付し、右小切手は同月一〇日頃決済され、これによって被告人と五菱興業との貸借関係は一切終了したこととされた。

(ホ) なお、右上乗せ分の三〇〇〇万円の支払約束及び決済が行なわれた当時、被告人と五菱興業との間には、前記三七〇〇万円の残債務(原審証人渡辺重明の供述によれば、同金額は五菱興業が矢本新平の保証により被告人から借入れた元金に対する未払利息の合計分と認められる。)のほか、株式会社京橋堂振出の約束手形又は小切手により、五菱興業の渡辺が矢本新平の保証によらないで被告人から貸付を受けた金額の未返済分が、〈1〉支払期日昭和四七年七月一五日の約束手形分五〇〇万円、〈2〉支払期日同年同月一〇日の約束手形分五〇〇万円、〈3〉振出日付同年七月二一日の小切手分二五〇〇万円、〈4〉振出日付同年同月二三日の小切手分一〇〇〇万円の合計四五〇〇万円存在したと認められ、このことは、原審第三四回公判における証人渡辺重明の供述のほか、右手形・小切手の写である弁七の四ないし七号証、これに関連する被告人・五菱興業間の石巻のモーテルの譲渡・決済についての弁八号証(メモ写)、弁九の一ないし四号証(振込金受取書写、小切手写、領収書写等)の存在とその内容に照らし明らかである。

そこで、以上の事実関係から前記三〇〇〇万円の上乗せ金額の支払が、右三七〇〇万円の残利息についてであるか、右四五〇〇万円の残元本についてであるかを検討すると、原審証人渡辺重明のこの点に関する供述は、第二八回公判においては三七〇〇万円の方ではなく、矢本の保証分とは別個に存在した手形(元本としての)分の債務の弁済であるように供述したが、第三一回公判においては一転して前に検察官の取調に対し供述したとおり、三七〇〇万円に対する支払であった旨供述を変更し、京橋堂振出の手形・小切手が被告人の手元にあることについては、前に差し入れていた五菱興業の手形の見返りとして渡したのに過ぎないのであって、これに見合う借入債務は実在しないように供述した。しかし、第三四回公判においては弁七の四ないし七号証の当該手形・小切手の写を見せられて、改めて右手形等による借入債務があったことを認めながら、右債務は昭和四七年中に石巻のモーテルを被告人に譲渡・代金精算することによって決済されたようにも供述し、その計算が金額的に合わないことを指摘されると、本件上乗せの三〇〇〇万円は、あるいは京橋堂の手形・小切手の四五〇〇万円の残債務分の支払であったかも知れない旨供述している。しかし、右モーテルの譲渡・代金精算の件は、弁八号証、同九号証の一ないし四、これらの内容についての原審第三八回公判における被告人の供述によると、右モーテルの代金精算は京橋堂の右手形・小切手による借入金とは別個に行なわれたことが認められるから、渡辺のこの点の供述は信用性がなく、結局において当初の第二八回公判における同人の供述が最も信用性があるものと判断される。このことは、前記四月二四日付合意書によれば、前記三七〇〇万円は被告人の資金援助を条件として、昭和四八年八月三〇日までに返済すればよいとされているのに、同じ日時頃なされたと認められる前記五〇〇〇万円の貸付金の返済が、同年五月一〇日付小切手により行うこととされているのであって、そうすると、右三七〇〇万円のうちの三〇〇〇万円を右小切手金額に上乗せしたとすれば、右四月二四日付合意書の内容はほとんど無意味となることから、右上乗せ分は右合意書とは別個の、京橋堂の手形・小切手による借入れ債務四五〇〇万円についてなされたと見るのがより合理的であるということからしても、その裏付けがなされているというべきである。

そうすると、右三〇〇〇万円は三七〇〇万円の利息についての支払ではなく、京橋堂の手形・小切手による借入金元本四五〇〇万円について、その弁済として支払われたものと認めるのが相当である。原判決が右三〇〇〇万円は三七〇〇万円の利息のうちの支払分であると認めたのは事実の誤認である。所論はこの点において理由がある。

(二)  貸倒損について

以上認定したところによれば、昭和四八年五月一〇日頃、前記八三〇〇万円の小切手が決済されて被告人・五菱興業間の貸借関係が終了したとされた際、存在していた五菱興業の被告人に対する借入金元本残高は、前記京橋堂の手形・小切手による借入金四五〇〇万円であったと認められ、前記三〇〇〇万円の上乗せ分が支払われたことにより、その余の一五〇〇万円の借入金残額が支払を免除されたものと認めるべきである。

そうすると、原判決が認めた八〇〇万円の貸倒損のほか、右一五〇〇万円も昭和四八年度における貸倒損となると認めるべきであって、原判決の事実認定はこの部分に関しても誤りがあり、修正を免れないというべきである。

この点の所論は右の範囲において理由がある。

三  桜井治兵衛関係について

所論は、被告人の右桜井に対する貸付金が、昭和四七年中同人が無資力となり回収不能となったのに、原判決がこれを認めず、右金額三二二〇万円が貸倒損となることを否定したのは事実の誤認であるようにいうが、原判決の挙示する関係各証拠によれば、原判決の右認定は相当であり、その認定理由として説示するところも、おおむね相当として是認することができる。所論は右桜井が保谷農協に対する実質約四億の借入金債務弁済のために、昭和四七年八、九月中同人の全不動産である保谷土地及び狭山土地を売却した結果、無資力となったように主張する。しかしながら、関係証拠によれば右売却は無条件ではなく、桜井治兵衛としては保谷農協からの借入債務が東京都の監査により個人貸付の限度額超過であるとして問題となったため、右状態を解消するために右農協関係者の仲介により前記両土地を株式会社丸増に売却し、その代金を右農協の債務の弁済にあてることにしたが、いずれ買戻しをする予定でその旨を右仲介者を通じて丸増側に申し入れ、買戻特約の了解を得た旨聞いたので、売買価格も時価よりは安い価格で売却に応じたこと、ところがその後丸増側は、桜井治兵衛が右買戻特約の確認を求めたのに対しこれを否定したので、同人は丸増に対し右買戻特約の確認を求める民事訴訟を提起したところ、これを聞いた被告人が右桜井と相談して、被告人の桜井に対する貸金債権保全のためと、被告人が桜井のために丸増側と交渉する立場を有利にする目的で、保谷土地のうち地目が畑のため丸増が直ちに所有権移転登記ができず、停止条件付所有権移転の仮登記にとどめていた二筆につき原判決説示の根抵当権を設定した(原判決が保谷土地全部につき右仮登記及び根抵当権設定があったようにいうのは誤りである。)という経過があったが、結局昭和四九年七月に桜井と丸増間に和解が成立し、桜井治兵衛は弟桜井重雄及び親族桜井新太郎らの協力を得て保谷農協の再融資による資金で前記丸増に売却した土地のうち、転売されないでいた保谷土地の全部を買戻すことができたこと、しかし右土地の所有名義は当時按井治兵衛が他債権者らと係争中であったこと等の配慮から、同人名義とはしないで前記桜井重雄・桜井新太郎両名の名義に登記されたが、実質的には桜井治兵衛の所有であることを右三者間では了解していたものであること、等の事実を認めることができる。

右事実関係からすれば、桜井治兵衛は前記両土地の売却によって直ちに無資力となったとはいえず、遠からずこれらを買戻す予定であったもので、実際にもその主要部分の買戻に成功しているのであるから、同人に対する被告人の貸付金債権は、その段階で適切に対処すれば回収の可能性があったというべきである。

また、前記被告人がした根抵当権設定登記は架空なもの、すなわち通謀虚偽表示ではなく、被告人の債権保全のための桜井との合意に基づくものと認められるから、丸増の仮登記が後日本登記を備えた場合に、その順位保全の効力により対抗力を失なうことはあっても、それまでは無効の登記ということはできない。原判決がこれらの点の認定理由の説示において、被告人の貸付が回収不能の状態になかったことは明らかであるとして説示するところは、いささか説明不足の嫌いはあるものの、その趣旨とするところは前記説明と同趣旨であると理解することができる。なお、桜井治兵衛が他債権者から破産申立を受け、破産宣告を受けた件についても、右破産宣告は後日取消されており、その故をもって同人が本件当時無資力の状態にあったといえないことは、原判決の説示するとおりである。

以上のとおりであるから、この点に関し原判決に所論のような事実の誤認はない。

ところで、職権をもって調査すると、原判決が桜井治兵衛において昭和四七年中に被告人に支払ったと認定した利息のうち、同年二月二六日支払分の四五万円(検察官作成の昭和五〇年六月二日付冒頭陳述書に添付された貸付先別課税利息等一覧表添付の明細書のNo.36の実際収入利子欄の二十一段目の分)については、関係各証拠を精査してもその支払があったことを認めるべき証拠がない。そこで、右四五万円についても支払があったとした原判決の認定(右明細表の金額の集計上明らかである。)は事実の誤認であり、右金額は原判決の認定した同年度分の右桜井の被告人に対する利息支払額からこれを減額しなければならない(なお、右No.36の記載のうち、実際収入利子・年月日欄の上から一二段目に46・7・8とあるのは、46・8・8の誤記であり、この点は同日付の支払とされている桜井関係の他のすべての支払分についても同様であると認められ、また、右明細表No.39記載の実際収入利子欄の上から一三段目、昭和四七年一月二八日支払分の一六万円とあるのは、一八万円が正しい金額であり、これに伴って右桜井作成の系統図・番号127で支払われた利息分の余剰分六万円も四万円が正しく、同図・番号132、133、134の各口に按分配賦された金額〔右一六万円と同欄のほか、その下五段目及びNo.38の下から五段目の各欄の端数記載の分〕も四万円の按分配賦として各修正されるべきであるが、以上の諸点は結果的に右桜井の昭和四六年度及び四七年度の被告人に対する各利息支払額の認定上に異動をきたすものではない。)。

四  株式会社丸越関係について

所論は桜井治兵衛の場合と同様に、被告人の右会社に対する一〇〇〇万円の貸付金が昭和四八年中に回収不能となったのに、原判決がこれを認めず貸倒損になることを否定したのは事実の誤認である旨主張するが、関係証拠によれば原判決の認定は相当であってこれを是認することができる。

すなわち、右丸越ないしその代表者である大野隆夫が、本件一〇〇〇万円で買受けた青森の土地を桜井治兵衛に譲渡担保として譲渡し、同人がこれを他に売却して自己の被告人に対する借入金の弁済にあてた後も、右大野は丸越または株式会社大野不動産の代表取締役として不動産取引を継続して行なっていたもので、昭和四八年当時も被告人に対する右一〇〇〇万円程度の債務を返済する能力がなかったとはいえないことは、大野と最も親しく接触して同人のことをよく知っていた桜井治兵衛が証人として供述するところであり、右供述には信用性があると認められるから、丸越または大野隆夫に対する右被告人の債権が、同年中に回収不能になったとは認められない。

そのうえ、原判決説示のように手形の振出人として事実上丸越の債務を保証した桜井治兵衛にも、右当時支払能力がなかったといえないことは前認定のとおりである。

よって、原判決にはこの点についても所論のような事実の誤認はない。

五  山本安彦関係について

所論は、右山本の被告人に対する三〇〇〇万円の借入金についての利息のうち、昭和四七年三月一四日支払分の二七〇万円は、右山本本人が原審証人尋問においてこれを否定しているのに、原判決が右供述を措信しないで同人の検面調書の供述により右支払があったと認めたのは、事実の誤認である旨主張するが、関係各証拠によれば右支払の分を含め原判決が認定した右山本の被告人に対する利息支払の事実(ただし右三月一四日の分は同月一三日が正しい。)はすべて認定できるのであって、山本の原審証人尋問における供述は斉藤忠亮のこれと前後しての証人尋問における供述に鑑み、被告人に慫慂されて被告人に有利に供述を歪めている疑いがあり、また検面調書における供述を証人尋問の際なぜ変更することになったかにつき合理的な説明がなされているとも認められず、検面調書における供述内容と比較し到底措信できないことは原判決の説示するとおりである。

所論はまた、被告人が山本から貸金の代物弁済として取得した土地の処分に関し、斉藤忠亮によって生じた七〇〇万円の横領による損金につき、原判決がこれを認めなかったのも事実の誤認である旨主張する。しかし、関係証拠によると、右代物弁済を受けた土地(その取得価格は三五〇〇万円であると認められる。)は被告人から直ちに斉藤忠亮に四一〇〇万円(橋の架設工事費等六〇〇万円を含む)で売渡されたもので、斉藤がこれを他に転売しながら右代金を支払わないとしても横領にはあたらないこと、また右転売の行なわれた昭和四七年あるいは翌四八年当時、斉藤忠亮は有限会社武蔵野総業及び株式会社藤忠等の名義で不動産取引業を営んでいて相当の取引実績があったものであり、七〇〇万円程度の金員が同人から回収不能の状態になっていたものではないことは、原判決の説示するとおりであると認められる。すると、原判決のこの点についての認定も相当であるから、右山本安彦関係について原判決に所論のような事実の誤認はない。

六  門間賢司関係について

所論は、被告人が昭和四六年一一月二七日、右門間から八〇〇万円の手形割引利息の支払を受けたことは、右門間自身が原審証人尋問でこれを否定しているのに、原判決が同人の検面調書の供述によりこれを認定したのは事実の誤認である旨主張する。

しかし、右門間の証人尋問における供述と検面調書における供述を比較検討すると、前者の供述内容には不合理な点が多いうえ、後者の供述を変更するに至った理由について合理的な説明がなく、前記斉藤忠亮の供述によれば、前記山本安彦の場合と同様に右門間も被告人の慫慂を受けて被告人に有利に供述を変更した疑いを持たれるから、右門間の証言及びこれに符合する被告人の原審公判における供述には、信用性を認め難いことは原判決の説示するとおりである。そして、右と比較して信用性の認められる門間の検面調書における供述によれば、原判決認定のとおり、門間賢司は五菱興業株式会社に売却した土地代金として、同社から受取った同社振出の額面二〇〇〇万円の約束手形を被告人に交付して割引を依頼し、被告人から手形の満期日までの割引料として八〇〇万円を差引いた一二〇〇万円を受領したのに過ぎないことが明らかである。そうすると、被告人はその時点で右八〇〇万円を門間から現実に支払を受けたものではないとしても、少なくともその時点で左手形の満期日に右差額の支払を受ける権利が確定したものというべきであるから、原判決が「割引料として八〇〇万円を受領したことが明らかである。」と認定・説示しているのは、結局において相当であってこれを是認することができる。

よって、この点について原判決に所論のような事実の誤認はない。

七  山口泰治関係について

所論は、原判決は右山口が被告人から三六〇〇万円を借受け、その利息として二回にわたり各三六〇万円を被告人に支払ったものと認めたが、右貸付は実際は小川公吉が被告人の名義を借りて行なったもので、右二回の利息支払は小川公吉が受領していて被告人は受領していないから、原判決の右認定は事実の誤認である旨主張する。しかし、関係各証拠によると、原判決の右認定事実は相当であってこれを是認することができる(ただし、原判決六五丁裏に「東四ツ所在」、「東四ツ土地」とあるのは、各「東谷ツ」の誤記と認める。)。所論は、右山口は右二回の利息を小川公吉に渡したと供述するだけで、それが被告人の手に渡ったことは確認されていないようにいうが、右山口は原審の証人尋問においても検面調書の供述においても、三六〇〇万円の借入は向山仁久及び小川公吉が仲介したが、貸主は被告人であると認識していたこと、そのために買受予定の東谷ツ土地に担保の趣旨で被告人名義の売買予約による所有権移転請求権保全の仮登記をしたこと、また向山、小川には仲介手数料を支払ったことを明言しているのであって、二回にわたる利息支払は向山または小川に渡したように供述しているのは所論のとおりであるが、更に右山口の供述によれば、同人はその後小川公吉から被告人に対する債務の肩代り返済を勧められ、小川にこれを依頼して原判決の説示するとおり同人から改めて三六〇〇万円を借受け被告人に対する債務を返済したので、その結果被告人名義の前記東谷ツ土地に対する仮登記は、小川公吉の女婿である宮下喜八郎名義に移転されたことが認められ、以上の山口の供述によって認められる事実からすれば、被告人が山口に対し右三六〇〇万円を貸付けたことが認められると共に、右二回にわたる利息も被告人の手元に入ったからこそ、前記担保のための被告人名義の仮登記も肩代りにより宮下名義に移転されたと推認することができる(なお、右小川公吉は原審の証人尋問において、右三六〇〇万円は自己が被告人から借受け、自己が山口に貸したものであるかのように供述している部分があるが、同時に被告人から右貸付に関し礼金をもらったことも供述していて前後矛盾しているし、自己の被告人からの借入債務の中に右三六〇〇万円の件は全く計算に入れていないことも考慮すると、右小川の自分が山口に貸付けた旨の供述部分はこれを措信し難い。)。

以上のとおりで、右山口関係についても原判決に所論のような事実の誤認はない。

八  目黒忠関係について

所論は、被告人から金員を借入れたのは株式会社メグロであり、同社は二〇〇〇万円の借入分につき昭和四八年九月分までの利息しか支払っていないのに、原判決が借入れたのは目黒忠で、同人は右借入分につき同年一二月分までの利息を支払ったと認めたのは事実の誤認である旨主張する。しかし、原審における証人目黒忠の供述によれば、原判決の認定したとおりの事実を認めることができる。目黒忠は同人個人の用途のために本件各借入を行なったもので、公正証書等の名義を株式会社メグロとしたのは、借用証代り兼取立用の約束手形に同会社振出名義のものを使用した関係からに過ぎず、同会社の帳簿上も右借入金は会社の債務として記帳されていないし、前記二〇〇〇万円に対する同年一〇月分の利息支払のための六〇万円の約束手形が被告人の手元に残っていたのは、目黒がその振出交付の事実を失念して被告人に返還を請求しなかったためであると認められる。

よって、右目黒関係についても、原判決には所論のような事実の誤認はない。

九  事実誤認の主張の総括

以上検討した結果によれば、原判決が認定した被告人の昭和四六年度ないし四八年度の各所得金額には、(1)昭和四六年度分は利息収入分のうち横田忠次からの支払を認め難い三二五〇万円と、五菱興業株式会社からの同様の分五〇万円の合計三三〇〇万円を過大に認定し、(2)昭和四七年度分は横田忠次関係で取得を認め難い債権譲渡益三一七八万四〇〇〇円につき利益を過大に認定し、貸倒損失につき八〇〇〇万円を過小に認定し、(3)昭和四八年度分は五菱興業株式会社からの支払利息につき三〇〇〇万円を過大に認定し、同社に対する貸倒損失を一五〇〇万円過少に認定した等の各事実の誤認があり、右誤認は各年度の認定所得金額との関係において、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである。

論旨は右の範囲において理由がある。なお、所論が個別的に事実誤認の主張をしていない他の貸付先の関係についても職権により調査を行なったが、それらの関係では原判決の認定はいずれも相当であって誤りはないと認められる。また、所論が被告人には本件容疑に見合うような多額の資産増加が認められないという点は、前記事実誤認がある範囲で被告人の所得を減縮して認定すれば、後記のとおり三年分で約三億八一一八万円余となるので、これが四億九九三七万円余あったとする本件公訴事実を前提とする右主張はもはや妥当しないうえ、右三年間における被告人の貸付金等の入出金状況、特に大口貸付金の未回収額が最終的に約二億八三〇〇万円に達していたこと、右期間内に被告人が矢本町のモーテルを代金四〇〇〇万円で取得し付帯設備等に出資して価格を増加させたほか、武蔵野市、青森市等に土地数か所を有償取得していること等に鑑みれば、被告人に右認定程度の所得に見合う資産増加がなかったとは認め難い。

よって、原判決は以上の事実誤認の点で既に破棄を免れないから、量刑不当の主張に対する判断はこれを省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により被告事件について更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都保谷市中町六丁目五番一三号において貸金業を営むとともに、肩書住居において旅館「ニューモーターリストホテル石巻」を経営していたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、貸付金利息及び右旅館売上の一部を除外し、仮名預金を設定するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

第一  昭和四六年分の実際総所得金額が二億二三七一万六七三六円(別表(一)修正損益計算書参照・なお貸金利息等につき別表(五)参照)あったのにかかわらず、昭和四七年三月一三日、東京都武蔵野市吉祥寺本町三丁目二七番一号所在の所轄武蔵野税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が一〇六八万九〇〇〇円であり、これに対する所得税額が九九万八〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額一億四八八九万九八〇〇円と右申告税額との差額一億四七九〇万九〇〇〇円(別表(四)税額計算書参照)を免れ、

第二  昭和四七年分の実際総所得金額が九三〇五万一五〇三円(別表(二)修正損益計算書参照・なお貸金利息等につき別表(五)参照)あったのにかかわらず、昭和四八年三月一五日、前記武蔵野税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が一八二万八一七五円であり、これに対する所得税額が一一万五三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五六八八万二五〇〇円と右申告税額との差額五六七六万七二〇〇円(別表(四)税額計算書参照)を免れ、

第三  昭和四八年分の実際総所得金額が六四四二万一一〇二円(別表(三)修正損益計算書参照・なお、貸金利息等につき別表(五)参照)あったのにかかわらず、昭和四九年三月一五日、東京都東村山市本町一丁目二〇番二二号所在の所轄東村山税務署において、同税務署長に対し、欠損金が二一五万四〇五〇円であり納付すべき所得税額はない旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額三六二四万七二〇〇円(別表(四)税額計算書参照)を免れ

たものである。

(証拠の標目)

原判決がその(証拠の標目)に掲記する各証拠と同一であるからこれらを引用する。

(確定裁判)

被告人は、昭和四八年一二月一日東京地方裁判所において、所得税法違反の罪により懲役四月及び罰金二五〇万円(懲役刑については二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同月一六日確定したものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書及び判決書謄本によって認められる。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右による改正後の所得税法二三八条一項に該当するところ、犯罪後の法律により刑の変更があった場合であるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時の法条の刑によることとし、所定刑中いずれも懲役刑を併科することとし、罰金額につき各改正前の前同条二項を適用し、判示第一及び第二の罪は前記確定裁判を経た罪と刑法四五条後段の併合罪であるので、同法五〇条により未だ裁判を経ない罪として更に処断すべく、右第一と第二の罪は同法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪所定の罰金額を合算した範囲内で、また判示第三の罪については所定刑期及び罰金額の範囲内で、被告人を判示第一及び第二の罪につき懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に、判示第三の罪につき懲役四月及び罰金一〇〇〇万円に処し、同法一八条により右各罰金を完納できないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により、全部これを被告人に負担させることとする。

(なお、量刑理由につき付言すると、被告人の所得税逋脱額は当審において減縮認定されたとはいえ、三年間で二億四〇九二万円余の多額に及び、その所得秘匿工作は貸付金の債務者や取引銀行等の多数の関係者に働きかけて証拠を残さないようにするなど、甚だ徹底した手段で行なわれ、税逋脱率も三年分を通算して九九・五パーセントを超える高率であり、しかも被告人は前記確定裁判を経た所得税法違反(昭和四一年分の所得税約七二五万円余の逋脱)事件で昭和四四年三月に起訴され、昭和四八年一二月一日前記のような有罪判決を受けていながら、本件判示第一、第二の罪は右事件の審理中に、判示第三の罪は右判決確定後の執行猶予期間中に行なわれていること等に徴すると、被告人の納税関係における反規範的人格態度は甚だ顕著であって、その刑責は重いといわなければならない。よって、主文程度の懲役刑の実刑を科するのはやむを得ないところである。)

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 阿部文洋)

控訴趣意書

被告人 貫井一雄

右の者に対する所得税法違反被告事件について、左のとおり控訴趣意書を提出する。

昭和五九年九月一三日

右弁護人 樋口和博

同 横山唯志

同 佐藤英二

東京高等裁判所第一刑事部 御中

総論

一、原審判決は被告人に対する悪意に充ちた偏見に基きなされた判決であり、被告人の弁解には一切耳を貸そうとせず、ひたすら捜査官の主張を理由づけることに汲々としてなされたものとの疑いが持たれる。

従って、口頭弁論主義、直接審理主義を一切無視し、捜査段階における関係人の供述その他関係証拠のみに依拠し、公判廷における被告人の供述は勿論のこと、関係証人の供述で被告人に有利と思われるものはすべてこれを排除し、裁判所において直接審理した証拠で被告人の主張弁解に添うものにも一片の考慮をも払わずすべてこれを排斥していることが窺われるという極めて不当な判決と言わざるを得ない。例えば、関係証人が公判廷において検察官面前調書記載の供述と異る供述をすれば、被告人に対する憎悪のかたまりのような証人の推測的供述をそのまま採用し、その関係者らの公判延での供述は被告人が事前にその証人と接触して偽証させた疑いがあるとの判断に立って当該証人の公判廷での供述を排除しているのである。しかも、その証人の多くは本件判決裁判所の構成員が直接審理に関与したものではなく、若し裁判所が直接審理に関与したならば、その証人が如何に被告人に対する憎しみに満ちた者であり、いかに被告人のために悪意をこめた証言をしているかを同人の法廷における態度等により認識し得た筈であり、尋問調書のみによりその心証をとることは極めて困難な事案である。

また、本件の借受人らが何れも不動産業や水商売に従事している海千山千の業者であり、税務署に対しては極めて弱い立場にある者共であることから、同人らの捜査段階における供述には税務当局に追従してなされたと考えられるものが極めて多いのに拘らず同人らの公判廷における捜査段階の供述と異る真実の証言もすべてこれを排除していることは何としても納得できないところである。

二、次に本件において最も疑問とするところは、弁護人らが原審で主張したとおり、被告人にはその固定資産、流動資産等の全財産を合算してみても検察官が主張し、原審裁判所が認定したような多額な利息収入等の利得による財産増が認められないということである。この種の脱税事件においては、多額の脱税があれば、多かれ少なかれそれに相応する財産増がある筈であるのに、この点に関する捜査官の懸命な捜査の結果にも拘らず、被告人においてはそれに相応する財産増のないことは一件記録上明かである。このことは後述するように、本件貸金の多くが貸し倒れとなっているのに拘らずこれを認めず、また利得となり得ない譲渡利益を積極的利得と認めていること、更に支払を受けていない利息を被告人が受領したものと認定していることなどの理由によるものと考えざるを得ない。

三、被告人は、農家に生まれ育った真面目な農業従事者であったが、時代の波に乗って馴れない金融業をはじめ、同人よりも不動産業界や金融業界に精通しており、被告人を食い物としようとする悪質な業者である本件関係者らにかき廻された結果、実質上の利得もないままに本件のような多額の脱税ありとして起訴されるに至ったことが窺われる。

さればこそ、被告人の貸与した金員はその多くが貸し倒れとなり、遂には東北の石巻市にあるホテルと小川公吉外数名に対する僅かばかりの貸金残が生じたにとどまり、原審認定のような多額の利得による財産増など生ずる余地は全くなかったものである。そのために、被告人は納税に困窮し、先祖伝来の田畑を殆ど他に売却して納税に充当し、今日においては世間体を恥じてその生家に出入りすることすら躊躇しているような実情である。

四、このようにして、被告人には後に詳述するように多額の貸し倒れ金を生じたことは記録上でも明かであるにも拘らず原審裁判所はこれを一切認めようとせず、また、後述するように債権譲渡益など皆無の案件についても敢て形式上の論理を弄してまで債権譲渡益を生じたものの如く認定した上、裁判所と難も被告人において実質上全く債権譲渡益を取得したことがなかったことを十分承知しながらこれを全く無視し、あたかも裁判所が検察官の立場に立ってこれに添うような判断をしているものとの疑いを持たせるような態度さえ窺われ、その判断についてはただただ理解に苦しまざるを得ないものがある。

五、被告人にはさきに同種の前科のあることや、本件の捜査段階から公判審理に至る間においてその取調関係者に対して決して好感を持たれる人間でなかったことは明かであるが、このことをもって、被告人に対し悪い予断を抱きこれを前提として判決がなされることは絶対に許すべからざるところである。

六、被告人は右のような先入感に基いてなされた原審判決には総て不満を持っているものであるが、当弁護人らはその争点を最も疑問に思われる横田忠次、五菱興業関係を重点に本控訴趣意書を提出する。

七、最後に本件について、その判決文には主任裁判官羽淵清司の署名があるに過ぎず、他の裁判官は転補または海外出張などの理由により署名できないものとしている。然しながら本件判決言渡後二ケ月余を経過した時点において、左陪席の転出も裁判長の短期海外出張も既に事前に判っていた筈であるのに拘らず何故主任裁判官一人で判決文を作成したのかその真意を理解し得ない。同裁判官らがその署名ができないほどの特段の事情もなかった筈である。判決文の作成を早めることも遅らせることもできた筈である。被告人にとっては、約九年間もかかって命がけで争ってきた重大事件である。この判決がただ一名の裁判官の署名により軽く片付けられているように感ずる被告人自らが甚しい不満を持つような結果をもたらす裁判所の態度にも納得しがたいものがあるし、また法律家でない素人の被告人が「このような判決は果して三人の合議体の裁判官の一致した合議の結果成立した判決であるか否か疑わざるを得ない」と憤然として弁護人らに申出ていることを申し添えておきたい。

横田忠次関係

第一、横田忠次からの利息入金について、

一、横田ノート・済小切手の信用性について、

第一点 原判決は(九丁裏)「横田ノートは横田忠次が被告人から借入れ及返済状況を把握しておくため、被告人からの借入れをし、あるいは被告人に対して元利金の支払をした際、そのつど、借入日・借入金額・支払日・元利の支払金額・差引残高等をこれに記載していたものである」と認定しているが、右認定は事実誤認である。

(1) この横田ノートが右認定のように、そのつど、記載されたものではなく、同一時期に、何らかの目的で一括して記載されたものであることは、その記載内容自体に徴して一見して明らかなところである。

しかも、その記載内容を見ると昭和四五年末迄は詢に几帳面に、「金利支払済」「金利済」「金利支払」とかの記載があり、しかもその文字が整然として同一態様の文字記載がつづき、次には別の態様の文字がつづけて記載されているというように、その筆致・態様・構想も全く同一機会になされたものと断ぜざるを得ない。

また、横田忠次が公判廷で同ノート記載の中には同人の妻による記載ありと述べているが、その部分すら指摘できない有様である。

しかるに、原判決は、これを借入・元利金の支払の都度に記入したものと認定したことは事実誤認である。

(2) 元利金の支払記載に限ってみれば、横田忠次は、昭和五一年四月二三日の公判で検察官の問いに対してノート作成の目的を左の通り証言している。

「小切手を振出した日付とか。それがわからなくなりますから、つけておいたのです」

「目的は(注ノート)、きょう借りて今度いつ落とすか、支払するかということがわからなくなるでしょう。それが目的で書いたんです」

と述べている。

同様の証言は、昭和五一年一二月一九日の公判においても調書第 丁で述べている。

ノートが同一機会に作成されたものでないとしても、支払の記載は原判決認定のように支払の都度記載したものでなく、前記証言からすると小切手・約束手形を振出したときに、支払日を忘れないように記載されたものであって、あくまで支払予定である。又、そうでないと支払日を記載したノートを作成する意味がない。ノート作成の目的も支払状況を把握するためでなく、支払期日・支払額を忘れないためのものである。

しかるに、原判決が、ノート作成者自身の証言に反して、元利金の支払の記載は、支払の都度なされたこと、その目的が支払状況把握のためと認定したことは、明らかに事実誤認である。

第二点 原判決は、ノートの記載内容について、

「記載内容は、本件において証拠として提出された小切手及び約束手形等残存する関係証拠とも符合している」と認定し、

更に、符(5)(6)の各済小切手のうちHBO六七〇二六(額面五五〇萬円)、HA一〇六五五(額面六五五萬円)、HA一〇六九九(額面八七〇萬円)の各小切手に被告人のメモが記載されているように原判決一一丁乃至一四丁、同一九丁で認定している。

しかし、ノート記載の一部に合う小切手が残存するからと云って、ノート記載金額が支払われたと認定すること、前記各小切手に被告人のメモが記載されているとの認定は事実誤認である。

符(5)(6)の各済小切手は、これに対する金員が支払われて横田に返還されたものでない。

これ等小切手が被告人宛に振出されたが、支払いが出来ず、これを元本に組入れて元本の小切手等を書換した場合、利息の支払のための右各小切手は横田に返還される筈のものであるため、ノート記載と右済小切手が符合するまでのことで、ノート記載の金額の支払があったと認定することは事実誤認である。

更に、HBO六七〇二六、HA一〇六五五、HA一〇六九九の各済小切手に被告人のメモ記載は存在しない。右各済小切手にあたかも、何ケ月かに亘って、この小切手が利息支払のために使用されたような記載が見受けられるが、この記載すべてが横田忠次の筆跡である。この事は、右小切手のメモの筆跡とノートの記載文字と比較すると明瞭に判ることである。

済小切手に被告人のメモの記載が残存しているのは、HBO二四九二四(額面一、五〇〇萬円)の計五、五〇〇萬、及びHA一〇六九四(額面六五〇萬円)計九、六五〇萬元本残の記載のみである。

右被告人の筆跡と前記三通の済小切手のメモとの筆跡が一見して異ることでも原判決の認定の誤りが判明する。

HBO六七〇二六、HA一〇六五五、HA一〇六九九の各済小切手のメモは、横田が被告人宛に振出した小切手であるが、この額面額を横田が元本に組入れて別の小切手と書換えた際に被告人から返還を受けたものであるところ、これらの小切手に横田において勝手に日付その他の文言を書き入れ、横田ノートと符合させたに過ぎないものである。

第三点 原判決は、HA一〇六五五済小切手が昭和四六年二月、三月、四月と使用された趣旨の認定を、判決文一二丁乃至一四丁において行っている。

しかし、これは事実の誤認である。

右小切手の表面の記入文字は総てが、横田の記載であることは前述のとおりである。右小切手を昭和四六年二月一八日に使用し、更に支払期日を三月一八日、次いで四月一八日と訂正して、右三ケ月間被告人に利息支払のため渡しておいたとするのであるが、この様な事はあり得ない。

支払期日を訂正して、三度に亘って同一小切手を使用する場合、訂正箇所に振出人の訂正印を押捺しなくてはならない。この事は手形・小切手を取扱う者であるならば誰でも知っている常識である。

しかるに、この小切手の支払期日の訂正には訂正印の押捺がしていないことは記載自体から明らかである。

この様な小切手を利息支払のために横田が被告人に差入れること、これに対して何等の異議を述べることなく被告人が横田から受領することは社会の常識に反することである。

この小切手は、昭和四六年二月用に使用され、同月、元本に右小切手の額面額を組入れて増額された元本小切手が振出されたゝめに、被告人から横田に返還されたものにすぎない。支払期日の訂正、その余の文言等の記載は横田に返還された後にされたものであることは前述のとおりである。

二、横田忠次支払利息の資金源の不存在について、

第一点 原判決は、横田忠次が昭和四六年中に被告人に支払ったとする利息金一億六六〇萬円、元金三、二〇〇萬円の資金の出所について、「横田忠次は昭和四四年一〇ごろから同四七年四月ごろまでの間、七回にわたり並木万次郎に対し、右取得にかゝる不動産を売却して合計約一億六、〇〇〇萬円の代金を取得し、また新座市に対して昭和四六年四月ごろから同年八月ころにかけて土地を売却し、合計一億円以上の代金を受領しているため・・中略・・前記元利金の返済をする財源を有していたことは明らかである」と認定している。

しかし、右認定は事実誤認も甚々しい上に、検察官主張の横田忠次の横田忠次の元利金支払を理解していない無謀な認定である。

(1) 弁護人が横田忠次の昭和四六年中の元利金合計一億三、八六〇萬円の支払について、最も疑問に感じることは、その資金の出所である。

原判決は、横田が昭和四四年一〇月から昭和四七年四月まで並木万次郎に金一億六、〇〇〇萬円、昭和四六年四月から八月にかけて新座市に金一億円以上の土地を売却したと認めているが、これを合計しても二億六、〇〇〇萬円である。

検察官主張の横田忠次の被告人に対する昭和四四年から昭和五六年迄の元利金支払の合計四億一、三九三萬円であることは冒頭陳述で明らかである。

従って、横田忠次が昭和四四年一〇月から昭和四七年四月にかけて金二億六、〇〇〇萬円の土地を売却して、その全部を被告人に対する支払に充当したと仮定しても、なお一億五、三九三萬円位の不足が生ずる。この不足額は、個人が金策する金額としては莫大なものであるが、これをどの様にして横田が捻出したと原判決は説明しようとしているのであろうか、全く、不可解な事実の認定と評さなければならない。

この一事をとっても横田が原判決認定の金利支払をする財源を有していたと認定することは事実誤認である。

(2) 本件起訴事実は、主に昭和四六年の横田忠次の利息支払についてゞあるので、これに限定して資金源を検討する。

横田忠次が昭和四六年中に並木万次郎に売却した土地の入金は、同人の検察官に対する供述調書で明らかなとおり

昭和四六年一月二一日売却分入金

一月二一日 三〇〇萬円

六月末日 二〇〇萬円

昭和四六年九月六日売却分

九月六日 二、〇〇〇萬円

一二月一五日 一、七〇〇萬円

のみである。

仮りに全額昭和四六年中の被告人に対する支払にあてたとしても四、二〇〇萬円である。

横田忠次が新座市に土地売却した代金の入金は、弁第四号の二のとおり

昭和四六年七月三〇日 金二、〇〇〇萬円

同年八月二〇日 金七、六九一萬円

のみである。原判決は、横田が新座市に一億円以上の土地を売却したと認定しているが、これは誤認も甚々しい。

右各入金をみると、横田忠次の昭和四六年一月より同年七月二九日(新座市からの二、〇〇〇萬円入金の前日)迄の、並木万次郎からの土地代金入金は五〇〇萬円のみである。

同期間中に右五〇〇萬円以外、横田忠次の第一勧業銀行普通預金口座に一月二一日金四、〇〇〇萬円の大金が入金になっている(甲一の84太田則利作成証明書)。しかし、右金員はその後同年三月末日迄の間に出金になっていて、被告人以外の者に対する支払に充当されていて、被告人に対する利息の支払の財源になっていない。

一方、同期間中に横田忠次が被告人に対して支払ったとされる元利金合計は金八、九九〇萬円である。並木万次郎からの五〇〇萬円全額が被告人に支払われたとしても、なお金八、四九〇萬円の資金不足である。原判決が右不足額さえも並木及び新座市に対する土地売却代金で支払ったとしているのであるから、論理の矛盾も甚々しいと謂わざるを得ない。原判決が並木・新座市に売却した土地代で被告人に対する昭和四六年一月から七月二九日迄の利息支払をしたと認定したことは事実誤認である。

(3) 原判決は、昭和四四年より昭和四五年迄の並木万次郎に対する土地売代金をも問題にしているようであるが、横田の昭和五〇年二月二六日付検察官に対する供述調書第一丁で明らかなとおり、横田は右両年度で二億一、三二八萬円の利息を支払ったと主張しているので、仮りに、これを正しいとすれば、右両年度の土地売却代金は、この間の利息支払に充当しても不足が生ずるから、昭和四六年度中の元利金の支払に回ることはあり得ない。

原判決は、昭和四四年・四五年の並木万次郎に対する土地売却代金をも、本件公訴事実の昭和四六年・四七年の金利支払に充当したと認定したことは事実誤認である。

(4) 新座市に対する土地売却代金について検討する。

この入金は、前述のとおり昭和四六年七月三〇日金二、〇〇〇萬円、同年八月二〇日金七、六七一萬円である。原判決は、これが全額、被告人に対する支払に充当された如く認定している。七月三〇日の入金二、〇〇〇萬円が被告人に対する支払に充当されたとしても、被告人は横田から

七月三一日 金 九〇〇萬円

八月一八日 金一、〇四〇萬円

を小切手の銀行決済で支払を受けていることは、東邦信用金庫総務部庶務課長川和正夫作成の上申書(甲一の八八)によって明らかであるので、この支払で使い果していることになる。

八月二〇日入金の七、六九一萬円は、横田忠次の昭和五一年一二月一七日の公判廷における証言速記録第四一四丁によれば、「新座市役所から来た六、〇〇〇萬円位の小切手を並木万次郎に借入金返済として渡した」旨を証言している。ところで、新座市から六、〇〇〇萬円の小切手は横田に支払われていない。これは八月二〇日の七、六九一萬円の間違いであると思われるから、第二回目の支払である右小切手は横田から並木万次郎に渡されたもので、被告人に対する元利金の支払の財源とはなり得ない。

検察官主張の昭和五六年八月二〇日以降の横田忠次の元利金の支払は、

八月二一日 二、〇〇〇萬円

九月一八日 九〇〇萬円

一〇月五日 一、一〇〇萬円

である。

新座市から八月二〇日に小切手で支払われた七、六九一萬円が被告人に支払われたとすれば、右支払に充当されたことになる。この支払に充当するためには、横田忠次が小切手七、六九一萬円を自分の銀行口座で現金化をして、その銀行口座から八月二一日、九月一八日、一〇月五日と分けて出金されていなくてはならないが、横田忠次の銀行口座の全部を詳細に検討しても、右に合致する出金は見当らない。この事実は、新座市からの第二回目の支払は、被告人に対する支払に充当されることがなかったことを雄弁に物語るものである。しかるに、原判決が、この代金が被告人に対する元利金の支払に充当されたと認定したことは事実誤認である。

第二点 原判決は、「横田忠次が、兄弟からも借入れをしていたが・・中略・・この借入金も被告人に対する返済にあてられたと認められる」と認定しているが、事実誤認である。しかし、原審取調べの全証拠をみても横田が昭和四六年中に兄弟から被告人に対する返済資金を借入れたと認められる証拠はない。横田の被告人に対する昭和四六年中の元利金支払額一億三、八六〇萬円に兄弟からの借入金が一部でも充当されているとすることは事実誤認である。横田が兄弟からの借入金で被告人に支払ったと主張するのは、昭和四七年一月二五日の金一、〇〇〇萬円の支払のみである。これは昭和四六年中の支払には全く関係がない。

以上、横田忠次が被告人に支払ったとする莫大な金額の資金源について言及した。

横田には、昭和四六年中に並木及び新座市以外に売却した土地は存在しない。同人は、昭和五二年一月三一日の公判廷における供述で、高橋利久に八〇〇萬円、笠原久丸に五〇〇萬円、その他三名に各一、〇〇〇萬円の土地を売却したが如き供述をしている。しかし、昭和四六年中に右の如き売却土地は存在しない。仮りに売却して入金になっているとすれば、これを立証することは登記簿謄本等によって容易に出来ることであるが、検察官がこれを立証しないことはこの様な売買がなかったからに外ならない。原判決も、右売買契約による横田入金を認定しなかったことでも、横田の右公判廷の証言が事実に反することが判るのである。

三、利息支払の不自然さについて、

原判決は、昭和四六年当初元本五、五〇〇萬円であり、同年度に元本の二倍に近い一億六六〇萬円の金利を支払ったとされることについて「元本延期に当り、被告人から損害金を要求され、その時に元本の一割に相当する金額を利息のほかに数回にわたり支払い・・中略・・さらに元本の一割にあたる損害金とこの損害金の一割相当の罰金と称する金員をそれぞれ元本に加算し、あるいは適当に元本を増額したうえ、右加算ないし増額した新たな元本の約一割がその後の利息として支払われていることが認められる」と認定して、右一億六六〇萬円の利息支払認定は不自然でないとしている。

しかし、右認定は原審取調べの各証拠からすると経験則に反する事実認定で違法である。

(1) 元金五、五〇〇萬円に対して利息を年間一億六六〇萬円を支払うことは、異常な事態であり、横田忠次にとっては非常事態というべきである。

横田は、元来不動産屋、モーテル等を経営する商人であり、合理的算段、計算のできる者である。この様な商人が年間、元金の二倍近い一億六六〇萬円の支払を続けることはあり得ない。

(2) 年間一億六六〇萬円の金利支払の重圧に苦しむならば、横田は土地売却代金から、先ず被告人に対する借入金返済にあてることを考えるのが当然である。

横田忠次は、昭和四六年八月二〇日新座市に対して九、六九一萬円の土地を売却して、同額の入金を入手しているのであるから、これを以って被告人の借入金返済にあてれば、以後は被告人からの借金・利息の返済からの重圧からのがれることができた筈である。しかるに、この入金がありら被告人に対して借入金元金の返済に充当することはなかった。この事実は、被告人からの借入金についての金利支払が横田にとって原判決認定のように元金の二倍近いものでなかったことを推認させるのである。

(3) 前記第二で詳述したとおり、横田忠次には昭和四六年中に利息一億六六〇萬円、元金三、二〇〇萬円を支払う資金源が全証拠からみて見当らないこと

等を併せ考えると、横田が昭和四六年中に元金五、五〇〇萬円に対して、利息として金一億六六〇萬円の支払をしたと認定することは著しく不自然なことであり、これが不自然でないとすることは右各証拠からして不合理であって、経験則に反した事実認定で、違法である。

四、和解による過払分一、一〇〇萬円の返還について、

原判決は「被告人と横田忠次との間で貸借につき和解成立し、被告人から横田忠次に対して過払分として一、一〇〇萬円が返還されていること等の事情を併せ考えると、横田忠次が昭和四六年中に約一億六六〇萬円もの利息を支払ったと認定することが不自然でない」と認定しているが、事実誤認である。

(1) 右和解において、被告人が過払分として返還することになった一、一〇〇萬円は、それ迄の利息支払状況を詳細に検討した上での金額ではないことは昭和五一年一一月一九日付被告人の公判廷での速記録により明らかである。

(2) この過払分としての返還は、昭和四五年末までの横田の支払を考慮したものであって、昭和四六年中に一億六六〇萬円の支払があったことを前提にしたものではない。

仮りに、昭和四六年中に横田が一億六六〇萬円の支払をしているとすれば、元金五、五〇〇萬円に対する利息であるから利息制限法からすると、被告人の利息としての受領が認められるのは、年間で八二五萬円である。従って、昭和四六年中の過払分は九、八三五萬円である。昭和四五年迄の利息過払と合せると莫大な金額になるので、過払分一、一〇〇萬円で被告人と横田忠次との間で和解が成立することはあり得ない。

以上の事実から金一、一〇〇萬円を過払分として横田に支払ったことから、昭和四六年中に横田が一億六六〇萬円の利息を支払ったことが不自然でないと認定することは不合理なことで事実誤認である。

五、横田忠次の各月の利息支払について、

(一) 昭和四六年一月中の元本借入、金利支払について、原判決は、要旨

(1) 元本額五、五〇〇萬円に対する利息として一月一八日金五五〇萬円を支払う

(2) 一月二〇日金一、〇〇〇萬円借入・一〇〇萬円の利息支払

(3) 一月三一日、五、五〇〇萬円の小切手が取立にまわされ、不渡処分を免れるため、借入金二〇〇萬円と他から工面した三五〇萬円で合計五五〇萬円

を支払ったと認定している。

第一点 横田が一月一八日に金五五〇萬円を被告人に支払ったとしているが事実誤認である。

(1) 横田が一月一八日に五五〇萬円を支払ったとするが、同人の金の出所がない。一月一八日に横田の取引銀行である埼玉銀行、第一勧業銀行、青梅信用金庫からこれに相当する出金はない(甲一の七七乃至八六を参照)銀行から出金しないで、横田は当日どこから出金したと原判決は認定したのであろうか不可解である。

(2) 一月一八日の五五〇萬円に相当する小切手HBO六七〇二六の存在及び横田ノートの記載がある。

右小切手が被告人の手許に来ていたことはあるが、これをもって現実に五五〇萬円を支払った証拠とはならない。小切手五五〇萬円は後述のとおり書換により元金五、五〇〇萬円に加えられ、昭和四五年中からの利息未払分五〇〇萬円HBO六七〇二八を加えて、一月末日で元金が六、五五〇萬円となったものであるから、小切手、ノートの記載だけで五五〇萬円の支払を認定することは誤りである。

(3) 更に、横田は、昭和五一年一二月一七日の公判廷で要旨(記録四三八丁・四三九丁)

「一月二〇日に一、〇〇〇萬円借受け、一〇〇萬円天引され、これから一月一八日の五五〇萬円差引かれ、二〇〇萬円現金を持って行き残三五〇萬円と合せて一月三一日の支払にあてた」

と証言している。

原判決は、右証言から一月三一日の五五〇萬円の支払を認定したもので、外に右趣旨の供述調書・証言はない。(もっとも、原判決は三五〇萬円と二〇〇萬円とを逆にした誤りを犯している)。この証言自体措信できないが、この証言からも一月一八日の五五〇萬円の支払はないことは明らかで、一月二〇日の元金加算に外ならない。

第二点 一月三〇日横田が金利支払のため金一、〇〇〇萬円を借入れ、一〇〇萬円の利息支払をしたことになっているが事実誤認である。

横田には、一月二〇日前後に金利を支払うために被告人から一、〇〇〇萬円を借入れる必要はない。

(1) 原判決の認定によれば、一月一八日金利五五〇萬円を横田が支払っているので、同月二〇日に金利支払のために横田が金一、〇〇〇萬円の借入れをおこす必要はない。

更に、一月三一日に金五五〇萬円を支払ったことになっているが、これを原判決認定の事実からすると、同日五、五〇〇萬円の小切手が取立にまわされて、これの支払ができないための罰金のようなものと認定しているので、一月末に突発的に必要となった金である(この認定自体も事実誤認である)。

そうすると、横田が被告人に金利を支払うために、あらかじめ、一月二〇日に一、〇〇〇萬円の借入れをする必要はなかったことになる。

(2) 更に、横田の第一観業銀行の普通預金口座(甲一の八四)によれば、同人の口座に一月二一日に金四、〇〇〇萬円の大金の入金があった。このような大金の入金が、一月二一日に突然になされることはあり得ない。当日の相当な前からこの入金が予定されていた筈である。従って、横田がこの入金での支払を予定しないで、高利をとられる被告人から一、〇〇〇萬円の借入れをすることは不自然である。

(3) 以上のように一月二〇日の一、〇〇〇萬円の借入れがあり、この利息として同日一〇〇萬円の支払があると認定した原判決は誤りである。

第三点 原判決は、一月三一日に五、五〇〇萬円の小切手が取立にまわされ、この資金がなく被告人の要求で金五五〇萬円の支払をしたと認定したが、事実誤認である。

(1) 昭和四六年一月末日頃、被告人が小切手等の取立に使用していた東邦信用金庫から五、五〇〇萬円の小切手の取立を横田に対してまわした事実がないことは井口和雄作成の上申書(甲一の八七)で明らかである。

(2) 原判決は、一月三一日頃五、五〇〇萬円の小切手がいきなり取立にまわされ、この決済ができずに罰金のような形で五五〇萬円を支払ったものとしている。原判決認定のとおりとすると、この五五〇萬円は突然必要になった支払である。

しかし、一月三一日に五五〇萬円を横田が支払うことは、昭和四五年一二月末には予定されていたものである。

即ち、符(6)のHBO六七〇二六の額面五五〇萬円、振出日昭和四六年一月一八日の小切手及び、HBO六七〇二八の額面五〇〇萬円、期日同年一月三〇日の小切手は、いずれも昭和四五年一二月中には横田から被告人に振出されて支払が予定されていた。この事実は甲一の七七証明書(青梅信用金庫東久留米支店長作成)で、右両小切手より後に振出されているHBO六七〇二九、額面一二六、〇〇〇円の小切手が昭和四六年一月五日に銀行の交換決済されていることで明らかである。

更に、第一勧業銀行ひばりケ丘支店の横田の当座預金口座で一月三〇日に五〇萬円の小切手が被告人から取立にまわされ決済されている。

従って、昭和四六年一月当初、横田は被告人に額面五五〇萬円(一月一八日付)、額面五〇〇萬円(一月三〇日付)、額面五〇萬円(期日一月三〇日)の各小切手を渡していた事実は証拠上疑いを入れる余地がないので、横田は一月末に五五〇萬円の支払を以前から予定していたものであったと謂わなければならない。原判決は、いきなり五、五〇〇萬円の小切手がまわされ、この五五〇萬円を突然に支払わされたとしているが、これは明らかに事実誤認である。更に、五五〇萬円が五、五〇〇萬円の支払ができなかったゝめの罰金のようなものとしている横田の証言に基づく原判決の認定も誤りである。

(3) 原判決は、一月三一日の五五〇萬円の支払は、二〇〇萬円は一月二〇日の借入のうちから、三五〇萬円を他から工面して支払ったと認定している。

二〇〇萬円と三五〇萬円の出所は横田の昭和五一年一二月一七日の証言と逆であり、この点も事実誤認であるが、これはさておくことにする。

横田は、一月三〇日第一勧業銀行ひばりケ丘支店の普通預金口座から一〇〇萬円を振替出金(甲一の八四)し、同日、同行の当座預金から被告人のため五〇萬円を銀行決済している(甲一の八五、八六)。横田の同行の普通預金には、一月末現在三四、六五四、三一三円の残高が記録されているが、一月三一日に原判決認定のような五五〇萬円の出金は見当らない。

この事は、原判決認定のような支払のなかった証拠である。

(4) 横田は、一月中に被告人に対して前記五五〇萬円、五〇〇萬円、五〇萬円の支払を予定して、そのための小切手を振出していたところ、五〇萬円の小切手のみを決済して、一月末日に残一、〇五〇萬円を従来の元金五、五〇〇萬円に加算し六、五五〇萬円として、二月一八日にこの一割に相当する六五五萬円(符(6)HA一〇六五五小切手)を利息として支払うようにしたものである。

一月三一日の五五〇萬円とは、前記一月三〇日期日の五〇〇萬円、五〇萬円の小切手支払であり、これが突然支払を要求された罰金的性格のものでは断じてないのである。

原判決は、右両小切手をどのように見たのであろうか、この証拠を看過して、横田の悪意に満ちた虚偽の証言によって事実を誤認したものと評する外ない。

(二) 昭和四六年二月の利息支払について、原判決は、二月一八日金六五五萬円、二月二六日五〇〇萬円を支払ったと認定しているが、事実誤認である。

第一点 二月一八日の六五五萬円の支払はHA一〇六五五済小切手、ノートの記載、横田の昭和五一年一〇月二九日の公判廷での証言によって認定したものと思われる。

しかし、横田は昭和五一年一二月一七日の公判廷で要旨(記録四四四丁~四四七丁)

「二月一八日の六五五萬円が払えなくて、損害金と元金加算で元本が七、二三〇萬円になった」

「現金で払ったと云うのはうそ、ノートの記載でも判る」

「検事調書で二月一八日現金を払ったとの供述は間違い」

と判然と供述している。

この証言は、原判決が「支払ってないと供述している部分があるかのようである」と認定しているような疑問を残した証言ではない。この証言は横田ノートによって裏付けされている。

二月一八日のノートは、六五五萬円「かきかい」と明記され、この処理として「六五五萬円十六五萬五、〇〇〇円十六萬五、五〇〇円」合計七、二七〇、五〇〇円と記入され、二月末日の元金が七、二三〇萬円に増加されていることで判明する。原判決は、この記載の意味をどのように判断したのか、その真意は不可解である。

更に、二月一八日の支払がなかったことは昭和五〇年二月二六日付横田の検察官に対する供述調書九丁、一〇丁でも明らかであり、横田が二月一八日の支払をしてないで書換をしたことを供述している。原判決は、この供述をも看過して事実を誤認している。

横田の銀行口座には、二月一八日現在六五五萬円を支払える残高が第一勧業銀行にあるが、横田のどこの銀行口座からも二月一八日に六五五萬円の出金の事実はない。以上の証拠を考察すると、原判決が事実誤認であることが判明する。

第二点 二月二六日の五〇〇萬円の支払の事実も誤認である。原判決は、六、五〇〇萬円の小切手を突然取立にまわすと連絡を受け、買戻しのためやむを得ず被告人の要求に応じて支払ったものとしている。

(1) しかし、二月二六日に被告人が六、五〇〇萬円の小切手を取立にまわした事実がない。

更に、五〇〇萬円が突然の出費であれば、横田が二月二六日に五〇〇萬円を現金で所持していたことは考えられないので、当然に銀行からの出金がなくてはならないが、前述の横田の全銀行口座からこれに相当する出金が、残高が第一勧業銀行にあるにも拘らず、ないことでも事実誤認が判る。

(三) 昭和四六年三月の利息支払について、原判決は、横田ノート、小切手HA一〇六五五に記載された被告人のメモによって明らかであるとして三月一八日の六五五萬円の利息支払を認定した。

第一点 HA一〇六五五の小切手には被告人のメモは存在しない。この小切手の記載は、支払期日の訂正、中央右側のメモともに横田の筆跡であることは、この筆跡と横田ノートの筆跡をみれば歴然である。

原判決は、この点の事実誤認がある。

第二点 横田の昭和五二年一月三一日の公判廷での証言の要旨(記録四五六丁)

「六五五萬円が金利」

「実際に払ったものでなく書換である」

「ノートにも記載がある」

と述べている。

横田ノートをみれば、三月末の元金が八、〇〇〇萬円となっていて、右側にその増額の経過が記入されている。

横田の昭和五〇年二月二六日付検事調書一〇丁をみれば、横田は検察官にも同様な供述をしている。

更に、一月一八日当時横田の銀行口座から六五五萬円の金の出金がない。

原判決は、これ等証拠の判断をあやまって、三月一八日金六五五萬円の支払を認定したもので、事実誤認である。

(四) 昭和四六年四月分の元利金の支払について、原判決は、四月一九日に利息六五五萬円、四月二二日に元金一、〇〇〇萬円、四月二六日に不渡を免れるため金七〇〇萬円を支払ったと認定している。

第一点 横田の第一勧業銀行の普通預金口座をみると四月一九日に六五〇萬円が現金で出金されている。これを被告人に対する支払にあてたのではないかとの疑問が残ることは否定できない。

しかし、横田が四月二二日の金一、〇〇〇萬円の支払をした事実はない。横田の第一勧業銀行の普通預金口座(甲一の八四)をみると四月二二日金九、九六五、〇〇〇円が振替になり、当座預金の口座(甲一の八五、八六)に入金になっている。そうして、同日金一、〇〇〇萬円が被告人以外から取立にまわされて来て(小切手番号九二七一)、この決済資金に充当されている。外に、横田から金一、〇〇〇萬円の支払はなく、横田には被告人に一、〇〇〇萬円を支払う資金はなかった。

しかるに、原判決が四月二二日金一、〇〇〇萬円の支払を認定したのは、ノートの記載のみによったもので事実誤認である。

第二点 四月二六日の金七〇〇萬円の支払について、原判決は当時七、〇〇〇萬円の小切手が取立にまわされたが、横田がその支払ができなかったことから、不渡処分を免れるため被告人の要求に応じて支払ったとしている。

(1) しかし、被告人が四月二六日頃七、〇〇〇萬円の小切手を取立にまわした事実はない。

(2) 横田は、不渡を免れるために七〇〇萬円を払ったとしているが、同様な事が同年一月から四月と続いていることになり、この様な過酷な罰金的性格の金銭の支払を求められて、何等の抗議も対抗手段も講じないで、何度も横田が被告人の要求に応ずることはあり得ない。

横田が同様の支払を一月三一日にも行ったことになっているが、これが虚偽であることは前述したとおりで、この事でも横田の供述が悪意にみちた虚偽のものであることが判明する。

(3) 更に、四月二六日に突然に支払を要求されたものであれば、横田は七〇〇萬円もの大金を現金で常時自宅に保管していることはないので、これに相当する出金が銀行口座からなくてはならない。しかし、横田の取引銀行である埼玉銀行、第一勧業銀行、青梅信用金庫(甲一の七七乃至八六)からは、これに相当する出金がない。

(4) 横田ノート(符(7))の昭和四七年四月の差引残高欄をみると、四月一九日の欄の記入と四月二二日、四月二六日の欄の記入が異っている。この欄は、横田が被告人に現金を支払えばマイナスが増加して来て、支払うべきものを支払わずに支払ったようにした場合、即ち元金に組入れた場合にはマイナスが減少する記入であることは全体の記入で判るのである。

四月一九日の六五五萬円については差引残高がマイナスが増加し、四月二二日、四月二六日の差引残高欄のマイナスが減少していることは、この支払のなかった証拠でもある。同様な事は他の支払についても云えることである。

(5) 以上のように四月二六日の金七〇〇萬円の支払があったとの認定は誤りである。

(五) 昭和四六年五月中の元利金の支払について、

原判決は、五月六日に元金一、〇〇〇萬円、五月一八日に六五五萬円の利息を支払ったとしている。

第一点 横田には、右支払の事実はなく事実誤認である。

(1) 横田の昭和四六年五月の銀行口座をみると、青梅信用金庫東久留米支店に五月六日金五〇〇萬円、五月一八日金五〇〇萬円の入金があり、この内五月六日に現金で一二二、〇〇〇円、五月一九日現金で四六〇萬円の出金があるのみで、その他は、被告人以外から交換にまわって来た小切手決済のために総て出金されている。右四六〇萬円は預手となって被告人に対する支払にあてていることは井口和雄作成上申書のとおりである。

(2) 横田のその他の銀行口座には、被告人に対する支払にあてるような大金の残高はなく、当時横田に一、六五五萬円を支払う資金はない。

原判決は、横田ノートと横田の証言のみで事実を認定しているが、横田はこの財源をどこに求めたと考察したのか疑問である。高額な資金の流れには、必ず銀行等にその足跡が残るものであって、これが見当らないのに、現金の支払を認定するのは誤りである。

(六) 昭和四六年七月中の利息支払について、

原判決は、七月一〇日金八七〇萬円、七月二一日金二〇〇萬円、七月二九日金九〇〇萬円を支払ったと認定している。しかし、七月一〇日の八七〇萬円、七月二一日の二〇〇萬円支払は事実誤認である。

第一点 横田が支払ったとされる七月二九日の九〇〇萬円は、埼玉銀行ひばりケ丘支店口座から八月二日に出金になった金九〇〇萬円があてられたものである(甲一の七七)。

この様に横田の大金の出入金については、必ず銀行からその足跡が明らかになる。しかし、七月一〇日、七月二一日の二回に亘る一、〇七〇萬円の金銭の動きは横田の口座に見当らない。その上、当時、横田に一、〇〇〇萬円をこす資金はなかったので、原判決は事実誤認である。

(七) 昭和四六年八月中の利息支払について、

原判決は、横田が八月一〇日利息として八七〇萬円及び同月二一日に一、〇〇〇萬円を支払い、同日元弁済として金一、〇〇〇萬円を支払ったと認定し、八月一〇日の八七〇萬円は小切手HA一〇六九九に記載された被告人のメモと横田ノートで明らかであると認定している。

第一点 小切手HA一〇六九九には被告人のメモは存在しない。同小切手に記入されている月日及びその他の文言は横田の記入であることは、このメモと横田ノートの記載の筆跡とを見れば一目瞭然である。原判決はこの点事実誤認である。

第二点 横田は、八月一九日、青梅信用金庫東久留米支店の同人の当座預金口座で、被告人が取立にまわした金一、〇四〇萬円の小切手を決済している。

しかるに、八月一〇日、八月二一日には原判決認定金額の銀行決済はない。更に、右両日八七〇萬円、一、〇〇〇萬円もの大金が横田の銀行口座全部(甲一の七七乃至八六)を調べても、出金になった形跡は全くない。そればかりか、右各銀行口座を一見して判るが、当時横田には、八七〇萬円、一、〇〇〇萬円もの大金は持合せていない。

横田は昭和五二年一月三一日の公判廷において、八月一〇日の支払について(記録四七〇丁・四七一丁)

「払ってないと思う」

問「間違いないか」

答「はい」

と判然と支払ってない事を認めている。横田ノートの八月一〇日の個別に八七〇萬円の支払をしていないために利息を加算している計算式があり、この記載からも八月一〇日の支払のないことが推測できるのである。

原判決は、これ等の証拠を看過して前記認定をしたのは事実誤認である。

(八) 昭和四六年九月・一〇月中の支払について

原判決は、九月一八日、一〇月五日に各九〇〇萬円の利息の支払を、横田ノートに支払済の記載があると云うことから認定している。

第一点 九月一九日、一〇月五日の各九〇〇萬円の支払に相当する金銭の動きが、横田の銀行からは全く見当らない。右各九〇〇萬円は、いずれの場合でも云えることであるが、ノートの記載のみで、現実にこれに対応する金銭の動きが全く見当らないのである。しかるに、原判決は横田ノートの記載及びこれにもとずいて払ったと単に証言するにすぎない横田の証言のみでこの支払を認定している。

しかし、ノート及び横田の証言のみで、これを裏付ける金銭の動きである客観的証拠がなくして支払を認定することは事実誤認のもとである。検察官が、ノート及び横田の証言のみでなく、実際に利息の支払があったのであれば、横田側のこれに対する金銭の移動を立証することは容易にできることである。しかるに、全くこの客観的金銭の動きを立証する証拠が提出されないことは、横田の支払について、多大な疑問が生ずるところである。

原判決の九月一八日、一〇月五日の各九〇〇萬円の支払の認定は右の理由によって事実誤認である。

第二点 横田は、九月一八日、一〇月五日の各九〇〇萬円の支払は、

「新座市に売却した土地代の小切手を埼玉銀行新座支店の自分の口座で現金化して、これから支出した」

旨の証言をしている。

一方で、新座市からの土地代の小切手は並木万次郎に渡したと証言していることは前述のとおりであって、同人の証言は二転三転して矛盾が多いことから措信し難いものである。

この横田証言に基づく原判決の各九〇〇萬円の認定は、横田証言の評価を誤った違法がある。

(九) 昭和四七年中の利息支払について

第一点 原判決は、昭和四七年一月二五日利息として金一、〇〇〇萬円を支払ったことが、横田の公判調書中の供述・横田ノートで認められると認定している。

(1) しかし、横田側に一、〇〇〇萬円の現金の動きは全くその形跡がない。

(2) 横田は昭和五二年一月三一日の公判で

「実兄横田宗正が埼玉銀行新座支店で預手を組んで、この小切手で支払った」

旨を述べている。

しかし、この小切手が被告人に支払われているとすれば、被告人の口座からこの取立がまわっていなくてはならないが、被告人の取引銀行から右取立の事実は見当らない。右預手が作られ、この小切手で支払が行われているのであれば、これを立証することは埼玉銀行新座支店に照会すれば容易であるのに、この証拠の提出もない。

(3) 以上の事実から、一月二五日の利息支払はなかったもので、原判決は事実誤認である。

第一点 原判決は、昭和四七年二月二七日横田は第一勧業銀行で、二、一〇〇萬円の預手を組み、これと現金一〇〇萬円を被告人の許に持参支払ったとし、この内の二〇〇萬円を利息支払と認定している。しかし、二、一〇〇萬円の預手の支払は事実であるが、金一〇〇萬円の現金の支払は事実誤認である。

(1) 横田が同年二月二七日金二、二〇〇萬円を支払っていれば、これに対応する二、二〇〇萬円の小切手を被告人の手許にとめおく必要はなく、これを横田に返還しなくてはならない。しかし、二、二〇〇萬円の小切手が被告人の手許にとめおかれていることは一部一〇〇萬円の不足があったからに外ならない。

(2) 横田には、同年二月二五日金一〇〇萬円を支出した形跡が同人の全銀行口座をみてもない。

(3) 以上のことは一〇〇萬円支払の事実がなかった証拠と云える。

(十) 原判決中、横田が支払ったとする利息中で争いのあるものは、総てが金銭の動き、即ち、横田からの出金・貫井側の入金を裏付ける客観的出入金の証拠のないものばかりである。

年間で一億円を超過する金銭の支払である。しかも、昭和四六年・四七年の一億円であるので、現在の貨幣価値にするとその倍以上である。個人で、この金を捻出することは並の努力はもとより、通常では考えられないことである。

若し、一億円以上の金が何百萬円単位で動いていれば、その金の動きが銀行等の口座の動きで充分に把握できるもので、この形跡が見当らないと云うことはあり得ない。

検察官・国税局は、若し百萬円単位で金銭の動きがあれば、これを客観的な銀行口座の出入で、その大部分が立証できる筈である。

しかるに、本件においては横田の単に支払ったと云う主観的な証言と横田ノートのみで、客観的金銭の動向の立証がないことは、横田の供述・ノートの記載の真実性を疑わせるに充分であると謂わなければならない。

しかも、横田ノートの差引残高欄は、この記載方法からみると横田が被告人に金を支払ったらマイナスが増加、横田が被告人から借入利息書換をしたときはマイナス減少として記入されている。この記入方式は差引残高がマイナスになる昭和四四年三月一六日以前からも変化はない。昭和四六年中でマイナスが増加したのは一月二〇日と四月一九日の二回のみである。これは一月二〇日九〇〇萬円を借入金で金利支払に充当した意味と四月一九日金六五五萬円の利息を支払ったことの意味で、他の支払はなかったことの証拠と思われる。

原判決は、客観的立証が容易な本件の利息支払について、この立証が全く行われていないのに、不確実な横田の証言とノートの記載で元利金の支払を認定した誤りを犯したものである。

しかも、昭和四六年中に横田が利息一億六六〇萬円、元金三、〇〇〇萬円を支払う財源がなかったことも前述のとおりである。

この両事実を併せ考えても原判決の事実誤認は疑う余地もない。

(十一) 昭和四六年中の横田から被告人に対する利息支払は

(1) 一月三一日 金 五〇萬円

(2) 四月一六日 金 六五五萬円

(原審では、この支払を争ったが、横田の出金から支払ったと思われるので当審では争いはないことにする)

(3) 五月一九日 金 四六〇萬円

(4) 七月三一日 金 九〇〇萬円

元金の支払は

(1) 八月一八日 金一、〇四〇萬円

である。

原判決が、昭和四六年中の横田の利息支払を一億六五〇萬円、元金支払を三、〇〇〇萬円と認定したことは、これ迄述べたように事実誤認で、利息分金八、五九五萬円、元金分一、九六〇萬円を過大に認定したものである。

更に、原判決の昭和四七年中の横田の利息支払を一、二五〇萬円と認定したのは事実誤認であって、一五〇萬円のみである。

第二、債権譲渡益について、

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼす右の事実誤認がある。

原判決は、本件債権譲渡益について、「被告人と横田忠次との間で昭和四七年一一月二九日付和解契約書(符(4)横田忠次関係書類一綴)によれば、〈1〉被告人は横田忠次に対する三、四一〇萬円の小切手債権を含むすべての債権を放棄し、被告人の所持する横田忠次振出の小切手六通を同人に返還すること、〈2〉斎藤忠亮振出の約束手形六、五八八萬四、〇〇〇円は、横田忠次の裏書を抹消したうえ、斎藤忠亮に返還するため被告人に預ける、〈3〉横田忠次は共立の土地三〇町歩が被告人の所有であることを認めるとした各事実が認められる」と事実を認定した。

その上で、〈1〉右約束手形は和解契約における被告人の代理人佐藤英二弁護士が保管していたが和解条項どおり斎藤忠亮に返還されていないこと、〈2〉被告人には斎藤忠亮に返還する意思など全くなかったこと、〈3〉斎藤忠亮に対して右約束手形が取立にまわらないように責任をもつので共立の土地三〇町歩の処分等一切を被告人に委せるよう申し向け、横田忠次との右売買契約を解除する通知を出させたこと、〈4〉斎藤忠亮振出の約束手形が被告人の手を経て斎藤に返還することゝされたこと、〈5〉その後右約束手形が斎藤に返還されてないことに横田は異議をとなえないこと、の各事実を認定した。

右各認定事実を併せて、被告人が横田忠次振出の小切手三、四一〇萬円の債権放棄の見返として、共立の土地三〇町歩の登記簿上名義人斎藤忠亮が和解契約に関与していないことから、右土地を被告人が取得するまで担保として、被告人に右約束手形を取得させたものと認定している。

〈1〉 被告人と横田との和解契約書によって、被告人が斎藤忠振出の約束手形を預ったのは、原判決認定のように、右約束手形の横田忠次の裏書を抹消したうえで、斎藤忠亮に返還するため被告人が預ったものであることはその通りであるが、右契約書には、右事実の外に、被告人が斎藤忠亮振出の約束手形債権を取得しないことを明らかにする左の事実が記載されていることを原判決は看過している。

斎藤忠亮振出の約束手形は、被告人と横田忠次との間で前記和解契約が成立する迄、被告人が所持していたものであって、被告人が右約束手形の手形債権者のような外観を呈していた。そのため、和解契約の第二項で、被告人が右約束手形債権者でないことを判然とさせるためには、被告人は右約束手形を和解成立と同時に横田忠次に返還したものであることを明記している。その上で、横田忠次が斎藤に返還するために、右約束手形を被告人に預けたものであることも明言している。

原判決は、右事実が被告人と横田忠次との和解契約書に明記されているのに、検察官主張事実を認定するのに汲々として、右事実を看過した事実誤認がある。

〈2〉 原判決は、被告人が横田忠次より和解契約で預った約束手形を、右和解契約における被告人の代理人佐藤英二弁護士が保管していたが、被告人には右約束手形を斎藤忠亮に返還する意思は全くなかったものであると認定しているが、これは全く事実誤認である。

被告人に、右約束手形を斎藤忠亮に返還する意思がなかったことを認定した証拠は、原判決掲示によれば横田忠次の公判における尋問調書、斎藤忠亮の公判廷での尋問調書、符(4)の横田忠次関係書類一綴、符(5)の済小切手、符(6)の済小切手であるが、これ等の総てを詳細に検討しても全く右認定ができる証拠を発見することができない。

右約束手形を佐藤英二弁護士が保管していて斎藤忠亮の手に現実に渡っていないことは原判決のとおりであるが、これを以って被告人には右約束手形を斎藤忠亮に返還する意思がなかったと認定することは論理の飛躍があって首肯し得ないところである。

反対に、右約束手形を佐藤弁護士に渡したことは、被告人自身手形債権行使の意思がなく、右手形を斎藤忠亮に渡すためであった。これは斎藤が佐藤弁護士に右手形の取戻しを依頼していたからである。

被告人に右約束手形を斎藤忠亮に返還する意思がないと云うことは、換言すると、被告人が右約束手形債権を取得したものと考えていたと云うことでもある。

この事は、原判決が結論的に被告人が右手形債権を取得したと認定したことでも判明する。

しかし、原判決の右認定どおりとすれば、被告人は右約束手形を佐藤英二弁護士に渡してそのまま昭和四七年一一月二九日から原審における横田忠次の証人尋問のとき、更に現在まで、右約束手形債権を斎藤忠亮に対して全く行使していない事実をどの様に解釈し、被告人の意思を認定するのであろうか全く疑問に思わざるを得ない。

更に、被告人が右約束手形を斎藤忠亮に手形債権を請求するために佐藤英二弁護士に渡したものであれば、同弁護士は斎藤忠亮に右約束手形請求訴訟を提起していなくてはならないが、この様な訴訟を提起していないことも明らかである。この事実は被告人自身右約束手形債権を取得したと考えていなかった証左であると言わなければならない。原判決はこれ等の事実を看過して、被告人には約束手形を斎藤に返還する意思がない旨を認定していることは甚々しい事実誤認である。

〈3〉 原判決は、被告人が斎藤忠亮に横田忠次との売買契約を解除する通知をさせたとのみ認定しているが、これは事実誤認である。斎藤忠亮が横田忠次との共立土地三〇町歩の売買契約を解除する旨の通知をしたのは、単に被告人が解除する通知を出させたと云うものではない。斎藤忠亮が共立土地を横田忠次より買受けて所有権移転登記を受けたが、この土地は、農地法第六一条所定の農業用地とする目的で国から元所有者に売渡された農地で、この土地を処分する場合には同法第七三条によって農林大臣の許可を必要とするもので、右許可が所有権移転の法定条件となっているものである。

ところで、右土地については、斎藤忠亮の所有権取得登記はもとより、横田忠次及びその前者である門間賢司の所有権取得登記についても農林大臣の許可を得ていない所有権取得の登記であって、実体的権利変動を伴わない無効な登記であった。

この様な登記ができたのは、この土地が登記簿上では地目が原野となっていたゝめ、登記官吏には本件土地が農地法第六一条、七三条の適用を受ける農地であることが判らないために登記ができたのに過ぎない。

斎藤忠亮は、横田忠次から共立土地三〇町歩の所有権移転登記を受けた後に、昭和四七年五月一一日付渡島支庁長伊藤澄夫の「農地法第七三条規定違反に伴う所有権の抹消登記に対する勧告」と題する書面(弁第二号証)によって、右土地の売買契約が農地法違反の契約であることを知ったのである。それ以前の同年四月二〇日に右土地の地目が職権で原野から農地に変更されていたのである(弁第一号証)。

この様な事実の経過から、斎藤忠亮が共立土地三〇町歩の所有権の取得ができないことを知って、右土地の売買契約を解除したものであることは、弁第三号証の斎藤忠亮の横田忠次宛の内容証明郵便による通告書によって疑う余地は全くないのである。

原判決は、右の如き、売買契約解除の根拠となっている事実には一片の顧慮をも払うことなく、単に被告人が斎藤忠亮に右売買契約の解除をさせたとのみ認定していることは事実誤認も甚々しいと評さなければならない。

第二点 原判決には、理由にくいちがいがある。

原判決は、斎藤忠亮振出の約束手形について、横田忠次は斎藤忠亮に右約束手形を返還するために被告人に預けたと認定したことは前述のとおりである。

横田忠次が右約束手形を返還する理由は、弁第一号証、弁第二号証、弁第三号証、横田忠次の昭和五一年七月二日公判廷における証言速記録第二五二丁より第二五八丁によれば、共立土地三〇町歩の売買契約は、右土地が地目農地となり、売買契約が農地法第七三条違反の売買で所有権取得に必要な条件を具備しないために斎藤が所有権移転登記の抹消の勧告を受けていることから右土地の所有権を取得できないことが判明し、右契約解除をなして、その原状回復として右約束手形を横田忠次が斎藤忠亮に返還することになり、その返還のために被告人に預けたものであることが判明する。

従って、前述横田忠次の証言速記録第二五七丁より第二五八丁によると

問「斎藤に渡すために貫井に交付したと書いてある(和解契約書にの意味)。貫井に交付したのは斎藤に戻すために約束手形を貫井に渡したんじゃないですか」

答「そうです」

問「そうすると最終的には誰に行くことになるのですか・・・略」

答「斎藤ですね」

問「その手形債権というのは貫井のほうにはもう行かないで、振出人の斎藤のほうに戻って、ないことになるわけだね」

答「そうです」

問「斎藤にその約束手形を戻すようになったのは、これは斎藤との売買契約がだめだからということで戻すようになったんじゃないですか、この農地関係がでてきたんで」

答「そうでしょうね」

問「あなたは斎藤から振出を受けた四通の約束手形を貫井に手形債権として譲渡したことはありませんね」

答「ありません」

となっている。

共立土地三〇町歩の売買契約が解除となり、その代金支払のための約束手形六、六八八萬四、〇〇〇円を、買主で振出人でもある斎藤忠亮に返還するため、手形所持人横田忠次が被告人に預けたものであれば、約束手形債権を被告人が取得することはあり得ない。被告人が取得するのは手形という紙片であって、これによって表徴されている手形債権ではあり得ないのである。

反面、手形振出人斎藤忠亮からすれば、右約束手形金を横田忠次はもとより被告人に対しても支払義務を負担することがないことは至極当然な結論である。

しかるに原判決は、横田忠次が、代金支払のための約束手形六、五八八萬四、〇〇〇円を斎藤忠亮に返還するため被告人に預けたと認定しながら、反面、和解契約が共立土地三〇町歩を被告人の所有と確認していることをとらえて、右約束手形を被告人が共立の土地三〇町歩を取得するまでの担保として、被告人に取得させたと認めて、約束手形債権六、五八八萬四、〇〇〇円の譲渡を認めたことは、理由にくいちがいがあることが明らかである。

第三点 原判決は、法令適用の誤りがある。

原判決が判決書によって認定した事実によっても、被告人が約束手形債権六、五八八萬四、〇〇〇円を取得する法律上の理由は発生しない。

しかるに、原判決が被告人が右約束手形債権を取得したと判断したことは法律の適用を誤ったものである。

原判決は、前述の如く、横田忠次が斎藤忠亮に右約束手形を返還するために被告人に預けたと認定し、右返還理由が、共立土地三〇町歩の売買契約が地目原野であることを前提として締結されたが、実際には地目が畑地であって、売買契約後に職権によって登記簿上の地目が畑に変更されたこと、右売買契約によって共立土地三〇町歩の所有権移転には農林大臣の許可が必要であるところこれが得ていないことから契約が解除となったゝめである。それなるが故に、横田忠次は被告人に手形債権を譲渡したものではなく、斎藤に返還するために被告人に預けたもので、和解契約書にもその旨を明記したのである。斎藤忠亮側からみると、共立土地三〇町歩を取得することがなくなったので、横田忠次に対して右約束手形債権の支払義務も消滅しているのである。

右の事情を知悉している被告人が、横田忠次から和解契約によって右約束手形を預っても手形債権を取得する理由がない。この事は、和解契約書に共立土地三〇町歩が横田忠次と被告人との間で、被告人の所有と確認していても、聊も影響を受けることはない。

もっとも、和解契約書で横田忠次と被告人との間で右土地の所有を確認しても、右土地は斎藤忠亮も横田忠次も、更には横田への売却人である門間賢司も、農林大臣の許可を得ることなく土地売買契約を締結したもので、右土地の所有権を取得する法定条件が整っていないので所有権を取得できないものであった。そのため被告人も右土地の所有権を取得することも、登記簿上の所有名義人である斎藤忠亮から移転登記を受けることも不可能な当初から不能な所有権の確認であったのである。

この様な所有権取得が不能な条項を和解条項に入れたのは、土地が斎藤名義になっているが斎藤は契約解除して手形の返還を受けることを希望していること、右土地の他の者への所有権移転登記は地目畑地で斎藤の所有権移転登記さえ無効であるので法律上不可能である上、斎藤の所有権取得を抹消すると横田名義が復活するが横田自身共立の土地の残余の部分について所有権取得登記の抹消を勧告されている位で、自分名義の復活を希望していないこともあり、土地所有権の帰属の表明に困って、不能であることを知り乍ら、この様な条項を入れたものである。

原判決は、認定事実に対する法律の適用を誤って、被告人が斎藤忠亮のために預った約束手形について、被告人が手形債権を取得したと判断したもので、破棄を免れない。

第三、貸倒金について、

原判決は(三〇丁)「昭和四五年一二月末の元本残は横田忠次の検察官に対する昭和五〇年三月一日付供述調書添付の(債務者別課税利息一覧表)の昭和四五年一二月末現在欄の貸付元本残六、八三五萬円となるところ、その後前記のとおり、新たに一、〇〇〇萬円が貸付けられ、元本に対し金三、〇〇〇萬円が返済されているので、これらを増減すると、本件和解当時の貸付元本残高は四、八三五萬円になるが、被告人は本件和解により右四、八三五萬円を放棄した」として、被告人が横田に共立の土地買入資金として貸付けた金員の一部返済として、同人が被告人に振出した三、四一〇萬円の小切手について「和解において横田忠次をして共立土地三〇町歩が被告人の所有であることを認めさせ、六、五八八萬四、〇〇〇円の約束手形の返還を放棄させたことによって消滅した」とした上で、金四、八三五萬円の貸倒金を認定した。

第一点 被告人の横田に対する昭和四五年一二月末日現在の貸付元本残を原判決認定のとおり六、八三五萬円とする。

これに対して、昭和四六年中に、被告人があらたに一、〇〇〇萬円を貸付けたことがないことは前述した。更に横田が三、〇〇〇萬円を原判決認定のとおり支払ったことがないことも前述のとおりである。

横田が被告人に昭和四六年中に元金返済として支払をしたのは、同年八月一八日の金一、〇四〇萬円の支払があることは甲一の七七(青梅信用金庫東久留米支店長伊藤一男作成証明書)、甲一の八八(東邦信用金庫川和正夫上申書)によって、横田側の出金、被告人側の入金で判明する。

しかし、原判決認定の如き、三、〇〇〇萬円の元金返済は、これに対応する横田側の出金、被告人側の入金を示す金銭の動きを立証する証拠がないことは前述のとおりである。

しかるに、原判決が三、〇〇〇萬円の元金返済があったと認定したのは事実誤認である。

第二点 横田振出の三、四一〇萬円の小切手債権消滅についての原判決摘示の右理由は、全く意味不明であり、原判決摘示の理由によって右小切手債権が消滅しないので、原判決は法令の適用を誤ったものである。

第三点 原判決は横田をして六、五八八萬四、〇〇〇円の約束手形の返還を放棄させたと認定したが、事実誤認である。

この判決の事実認定は意味が判然としないが、横田が被告人に対して六、五八八萬四、〇〇〇円の手形の返還請求権を放棄したとの意味であろうと思われる。しかし、横田と被告人との昭和四七年一一月二九日和解契約書第二項によると

「乙(貫井一雄)は甲(横田忠次)に対し、昭和四七年一一月二九日限り、別紙約束手形目録記載の約束手形(原判決認定六、五八八萬四、〇〇〇円約束手形)を返還する」

と明記されている。

右和解書によれば、原判決認定のように横田が被告人に対して手形返還請求を放棄したことにはなっていない。その逆で被告人は横田に右約束手形を返還しているのである。これに反する証拠は全く存在しない。原判決は、この点で明らかに事実誤認である。

第四点 原判決は、横田をして共立の土地三〇町歩を被告人の所有と認めさせたことが、被告人が金三、四一〇萬円の小切手債権を失う理由としているが、これは理由にくいちがいがある。

横田をして右三〇町歩を被告人の所有と認めさせたことが、何故に被告人が三、四一〇萬円の小切手債権を失う理由になるのか、その根拠の判示がない。

原判決は、その二九丁で、三、四一〇萬円の小切手債権を放棄する見返りとして六、五八八萬四、〇〇〇円の約束手形債権を取得したと認められるとし、三、四一〇萬円の小切手債権と約束手形債権六、五八八萬四、〇〇〇円とが相殺されて、三、四一〇萬円の小切手債権が消滅したように判示している(この判断は誤りであるが、それは別に述べるとして)ので、原判決の三、四一〇萬円小切手債権消滅の理由にはくいちがいがある。

第五点 被告人は、横田から原判決摘示のように斎藤振出の六、五八八萬四、〇〇〇円の約束手形債権の譲渡を受けたことがないことは前述のとおりである。

被告人は、斎藤と横田との間の共立土地三〇町歩の売買契約解除により、斎藤が売買代金支払のために振出していた六、五八八萬四、〇〇〇円の約束手形を斎藤に返還するため預ったにすぎないことは前掲和解契約書第二項で疑う余地がない。

従って、右手形債権を被告人が取得する理由がないので、このために三、四一〇萬円の被告人の小切手債権が消滅することはない。

原判決は、この点の事実誤認がある。

第六点 原判決は四、八三五萬円の貸倒れのみしか認定していないのは事実誤認である。

被告人の横田に対する貸付金の貸倒れは、

(1) 昭和四五年一二月末現在の元本残六、八三五萬円から昭和四六年八月一八日に支払われた一、〇四〇萬円を控除した五、七九五萬円

(2) 被告人が横田に北海道土地購入資金として貸付けた資金返済の一部として横田が振出していた小切手三、四一〇萬円の内、元金に相当する二、九〇〇萬円

の合計八、六九五萬円である。

しかるに、原判決は四、八三五萬円と貸倒金を過少に認定したもので、事実誤認である。

五菱興業株式会社関係

第一、被告人の五菱興業株式会社(以下五菱興業という)に対する貸倒損は三、八〇〇萬円である。

この点について、原判決は貸倒損は八〇〇萬円である旨判示したが、これは事実を誤認しているものである。

一、ところで、原審において、弁護人は、昭和四七年七月頃倒産した五菱興業の被告人に対する残債務は一億九、〇〇〇萬円で、うち元本分は一億六、八〇〇萬円、残り二、二〇〇萬円は利息分である旨主張した。

これに対し検察官は、五菱興業の残債務は一億四、五〇〇萬円で、うち元本分は一億八〇〇萬円、利息分は三、七〇〇萬円である旨主張し、原判決は右検察官の主張をそのまま認めたのである。

二、そこで、まず五菱興業が昭和五七年七月末頃までに被告人に対して振出した約束手形及び小切手を検討するにその合計は一二通で、内訳は左記のとおりである。

なお、このことは甲一の一二七証明書中の昭和四八年四月一七日付の合意書(以下合意書という)添付の手形目録及び左記弁各証によって明らかである。

(1)三、五〇〇萬円、支払期日、四七・七・二〇、約束手形(手形目録一)

(2)一、五〇〇萬円、支払期日、四七・七・二〇、約束手形(手形目録二)

(3)二、八〇〇萬円、支払期日、四七・七・二〇、約束手形(手形目録三)

(4)一、五〇〇萬円、支払期日、四七・七・二〇、約束手形(手形目録四)

(5)一、七〇〇萬円、支払期日、四七・七・二〇、約束手形(手形目録五、弁第七号証の一)

(6)一、〇〇〇萬円、支払期日、四七・七・二〇、約束手形(手形目録六、弁第七号証の三)

(7)一、〇〇〇萬円、支払期日、四七・七・二二、約束手形(手形目録七、弁第七号証の二)

(8)一、五〇〇萬円、支払期日、四七・五・一〇、約束手形(手形目録八)

(9) 五〇〇萬円、支払期日、四七・七・一五、約束手形(弁第七号証の四、京橋堂振出)

(10) 五〇〇萬円、支払期日、四七・七・一〇、約束手形(弁第七号証の五、京橋堂振出)

(11)二、五〇〇萬円、支払期日、四七・七・二一、小切手(弁第七号証の六、京橋堂振出)

(12)一、〇〇〇萬円、支払期日、四七・七・二三、小切手(弁第七号証の七、京橋堂振出)

以上合計一億九、〇〇〇萬円である。

三、しかしながら、元本及び利息については前記のとおり争われているので、以下原審における関係者の供述の要点を摘示して弁護人の主張の根拠の一端を明らかにする。

(一) 被告人は

(イ) まず、昭和五四年一〇月二日の第三二回公判において、弁護人(佐藤)から元利について問われたのに対し「前記(6)(7)の約束手形合計二、〇〇〇萬円及び(5)の一、七〇〇萬円のうち二〇〇萬円が利息として受取っていたものである」旨(記録一四一七丁表から裏)答え、利息分が二、二〇〇萬円であることを供述している。

(ロ) また、同年一一月一三日の第三三回公判において、弁護人(佐藤)の問に対し、「前記(9)(10)(11)(12)の約束手形二通及び小切手二通の合計四、五〇〇萬円を割引いてやった」旨(記録一四三八丁表から一四四一丁表)を答え、更に弁護人から「そうすると、合意書のほかに今の小切手二通一、〇〇〇萬円と二、五〇〇萬円、それから約束手形の五〇〇萬円二通、この分が貸金として残ったわけですね、合意書を作ったときには」と問われたのに対し「そうですね」(以上記録一四四二丁表)と答え、前記合意書の手形目録一ないし八の他に、前記(9)(10)(11)(12)の約束手形等(以下京橋堂手形等という)合計四、五〇〇萬円が元本分として残っていたことを明らかにしている。

従って、被告人の供述によれば、元本分が一億六、八〇〇萬円、利息分が二、二〇〇萬円で、合計一億九、〇〇〇萬円となる。

(二) ところが、これに対し五菱興業の代表取締役渡辺重明(以下渡辺という)は

(イ) 昭和五四年一月二六日の第二八回公判において、前記合意書の手形目録(以下手形目録という)一ないし八について、検察官の「それは、元本も利息も含んだものでしょうか」との問に対し「だと思います」と答え、また「元本がいくらで、利息がいくらということになりましょうか」との問に対しては「その辺は細かくわからないんですけどね」と答え、更に「元本が一億八、〇〇〇萬円で、利息が三、七〇〇萬円というふうなことではなかったでしょうか」との問に対しては全く沈黙して答えていないのである。(以上記録一一九六丁表から裏)

(ロ) それにもかかわらず、引続いての尋問において、検察官から、前記証明書中の「支払債務合意書」記載の約束手形について、「これが残っていた三、七〇〇萬円分の三通で、利息相当分だということはなかったんでしょうか」との誘導尋問に対し「そうかも知れません」(記録一一九九丁裏)と自信のない供述をしている。その後渡辺は検察官の尋問の趣旨を認める旨の供述をしているが、三、七〇〇萬円が利息分であるとする明らかな理由がなく、しかも誘導尋問の結果による供述であるから、被告人の供述を覆えすに足るものではない。

(三) また、渡辺は元本について

(イ) 前記公判において、検察官から「とにかく四月一七日付の合意書をつくった段階では、そこにのっている八通の手形合計一億四、五〇〇萬円、それが全部だったんでしょう」と問われたのに対し「ええ、矢本さんの保証した分の手形とぼくが借りた手形との開きがあったような気がするんですが、矢本さんの保証した分に対して計上した分がこの一億四、五〇〇萬円じゃないかと思うんです」(記録一二〇三丁裏)と答え、京橋堂手形等の元本債務が残っていたことを推測させる供述をしている。

(ロ) 更に渡辺は前記公判において、裁判長から「矢本の保証した分が一億四、五〇〇萬円というと、それ以外に保証がなくて証人以外の手形がまだあったというんですか」と問われたのに対し「はい」(記録一二〇四丁表)と明瞭に答え、やはり京橋堂手形等の元本債務が残存していたことを推認させる供述をしているのである。

(ニ) ところが、渡辺は昭和五四年七月六日の第三一回公判においては、弁護人(佐藤)から、京橋堂手形等について問われるや「これは不渡り手形の見返りと記憶している」旨(記録一三六一丁表から裏)供述している。

(ホ) しかし、渡辺はその後の昭和五五年一月二五日の第三四回公判において、弁護人(佐藤から、被告人が所持していた京橋堂手形等(弁第七号証の四ないし七)を示され、これらの約束手形や小切手の趣旨を問われるや、前回の供述が誤りであったことを認め、右手形等によって被告人から合計四、五〇〇萬円を借受けていた旨を供述し、それが元本債務として残っていたことを認めたのである(以上記録一四六四丁裏から一四六九丁裏)。

四、ところが、原判決は五菱興業の利息収入に対する判示一、(二)の終りにおいて「証人渡辺重明は、当公判廷において、所論の京橋堂振出にかかる約束手形及び小切手は、被告人から要求され、すでに被告人のもとに差入れられていた五菱興業(株)振出の約束手形及び小切手のみかえりとして差しかえられたものであって、右四月二四日当時右三、七〇〇萬円のほかに残債務はなかった旨明確に述べているが、本件当時倒産寸前の状態であった五菱興業(株)の事情等を考慮すると十分信用できる」としている。

しかしながら、原判決が引用した渡辺の供述は、前記(二)に摘示したとおり審理の途中において一旦は見返えりである旨の供述はしたものの後にその誤りを認め、前記(ホ)に摘示したとおり証拠物にもとずく尋問に対し、京橋堂手形等は明らかに被告人から借受けた元本債務であることをはっきり認めているのである。

五、従って、原判決は渡辺の誤った前の供述をあえて採用し、後の正しい供述を看過したか、あるいはこれを無視したものであって、採証を誤った結果事実を誤認したものであることは明らかである。

それ故、被告人に対する五菱興業の倒産時における元本の残債務は、前記(1)ないし(12)の約束手形及び小切手の合計一億九、〇〇〇萬円から、被告人供述の利息分二、二〇〇萬円を差引いた一億六、八〇〇萬円である。

六、被告人と五菱興業の債務の保証人矢本新平は、昭和四八年四月一七日合意書の手形目録八通(前記(1)ないし(8)合計一億四、五〇〇萬円について、私法上の和解をしている。

すなわち、被告人と保証人矢本新平の代理人弁護士渡辺正治との間で、保証人としての債務を整理するため、四月一七日付の合意書が作成され、同月二三日被告人は渡辺代理人から一億円の支払を受け、右矢本のその余の保証債務を免除した。

七、そして、これに関連して被告人と渡辺との間で、昭和四八年四月二二日付の合意書が作成された。

それによると、被告人は矢本新平より支払を受けた一億円のうちから、渡辺に対し改めて現金五、三〇〇萬円を融資したことが認められる。この五、三〇〇萬円は勿論貸付元本である。

なお、このとき渡辺は、被告人に対し松島建築研究所振出の先付(昭和四八年五月一〇日付)の額面八、三〇〇萬円の小切手を交付したが、これには右五、三〇〇萬円が含まれている。

そして、右小切手は期日に決済されている。

(一) これについて、渡辺は同年七月六日の第三一回公判において、検察官の問に対し「一応五、〇〇〇萬借りて、八、三〇〇萬小切手を切った。その三、〇〇〇萬というのはあとに残る債務関係の清算ということで合意されて八、三〇〇萬、小切手を切った覚えがあります。」(記録一三四一丁表から裏)と答えている。

(二) 更に、渡辺はその後の昭和五五年一月二五日の第三四回公判においては、検察官の「三〇〇萬円は利息だとか何とかいうんだけれども残りの三、〇〇〇萬円というのはどういうことになるんですか。それが京橋堂の手形、小切手の一部ということではないんですか」との問に対し「あるいはそうかも知れません。云々」(以上記録一四八〇丁裏)と答え、京橋堂手形等の残債務四、五〇〇萬円があり、八、三〇〇萬円のうち三、〇〇〇萬円は右残債務に対する返済分であることを肯定しているのである。

(三) これに対し、被告人は昭和五四年一〇月二日の第三二回公判において、弁護人(佐藤)の「渡辺は五、〇〇〇萬円借りて三〇〇萬は謝礼だと言っているがどうですか」との問に対し「いやそんなことじゃ渡辺は承知しませんよ。間違いありません。ここにちゃんと書いてあります。それは渡辺が嘘を言ってるんです。これは私ここではっきり保証できる。大丈夫です」(記録一四二二丁裏)と答え、五、三〇〇萬円は貸付元本であることを明らかにしている。

そこで、被告人が「ここに書いてある」と指摘した四月二二日付の合意書を検討するに、その一項には「貫井は金五千参百萬を昭和四八年四月二四日現実に交付して渡辺に対し融資貸付けることを約定する」と記載されており、融資貸付と明記されていて、利息や謝礼を含むことを窺わせるような文言の記載は全く認められない。

(四) また被告人は昭和五四年一一月一三日の第三三回公判において「三、〇〇〇萬円は、京橋堂の小切手二通と約束手形二通の返済として貰った」旨(記録一四四三丁裏)供述している。

八、以上の渡辺の供述や、被告人の供述及び四月二二日付の合意書によって、五、三〇〇萬円が貸付元本であり、八、三〇〇萬円の小切手のうち三、〇〇〇萬円が京橋堂手形等四、五〇〇萬円に対する弁済の一部であることが認められるのであるが、渡辺や被告人の供述をまつまでもなく、左の事実関係によっても認められるのである。

(一) すなわち、四月二二日付の合意書をもって貸付けた五、三〇〇萬円の弁済期日は昭和四八年五月一〇日である。

そして、このときに右五、三〇〇萬円に三、〇〇〇萬円を加えて振出された額面八、三〇〇萬円の小切手は先付の昭和四八年五月一〇日である。従って三、〇〇〇萬円の支払期日も同年五月一〇日ということになる。

(二) これに対し、四月一七日付合意書の手形目録五、六、七の約束手形合計三、七〇〇萬円については、被告人と五菱興業及び渡辺との間で、昭和四八年四月二四日付をもって、改めて「支払債務合意書」が作成され、この弁済期日は同年八月三〇日と約定されている。

従って、八、三〇〇萬円の小切手のうち、三、〇〇〇萬円は後に弁済期日の到来する三、七〇〇萬円に対する弁済ではなく、先に弁済期の到来する京橋堂手形等四、五〇〇萬円の弁済に充当すべきものであると解するのが自然である。

(三) 換言すれば、八、三〇〇萬円の支払期日と三、七〇〇萬円の支払期日が五月一〇日と八月三〇日の別別に定められていること、この両者の支払期日の約束が同じ四月二四日に行われていることは八、三〇〇萬円の小切手のうち、三、七〇〇萬円に対する支払が含まれていないことの何よりの証左である。

もし、八、三〇〇萬円のうちに三、七〇〇萬円に対する返済分三、〇〇〇萬円が含まれているとすれば八、三〇〇萬円の支払期日のほかに三、七〇〇萬円の支払について、別に前記「支払債務合意書」を作成をする必要はなかった筈である。

結局、五菱興業は被告人に対して京橋堂手形等による四、五〇〇萬円の元本債務があり、この返済のために三、〇〇〇萬円を支払うことにして八、三〇〇萬円の小切手が被告人に交付されたことは明らかであり、このように解することによって、前記証明書中の合意書二通、支払債務合意書及び弁第七号証の四ないし七の関係が矛盾なく説明できるのである。

九、従って、被告人の五菱興業に対する貸倒損はさきに矢本新平から一億円の支払を受けた分を差引いた貸付元本残の六、八〇〇萬円から右の三、〇〇〇萬円を差引いた三、八〇〇萬円であることは明らかである。

それにもかかわらず、原判決は以上の証拠関係を看過したか、あるいは無視して検察官主張のとおり貸倒損を八〇〇萬円と認定したものであるから明らかに事実を誤認しているものであって、破棄を免がれない。

第二、被告人は、原判決が認定したような多額の利息を五菱興業から受領したことはない。

(総論的に)

一、原判決は、被告人が五菱興業から

昭和四六年中 二九、二一八、四〇〇円

昭和四七年中 三九、三八七、三一六円

昭和四八年中 三三、〇〇〇、〇〇〇円

を受領している旨判示したが、それは事実誤認である。

二、被告人の記憶によれば、昭和四六年に北海道の土地購入資金として二、〇〇〇萬円を貸付けた際、謝礼として二〇〇萬円、五菱興業の仙台事務所で受領した五〇萬円、そのほか他の貸付に対する利息として受領した分を合せて合計三〇〇萬円程度であり、昭和四七年については二五萬円程度であり、また昭和四八年は全く受領していない。

三、ところが、原判決は「樋笠岩雄作成の「貫井一雄に対する振出約束手形等一覧表」(以下一覧表という)及び「貫井一雄から借入金、支払利息の支払経過明細書」(以下明細書という)は正確であり、これに証人渡辺重明、同樋笠岩雄の供述部分等を綜合すれば、検察官主張のとおり、五菱興業が被告人から借受け、利息を支払ったものと認めるに十分である。」旨判示している。

四、そこで、まず一覧表及び明細書の信用性について検討する。

(一) 原判決は一覧表及び明細書の作成に関与した渡辺及び樋笠岩雄(以下樋笠という)の供述に信頼を寄せているけれども

(イ) 渡辺は、昭和五四年一月二六日の第二八回公判において、「約束手形等に関する帳簿の記入は樋笠岩雄が担当していた」旨供述し、同時に「その帳簿は倒産による混乱の際ばらばらになって紛失してしまった」ことを明らかにしている(以上記録一一九二丁表から裏)。

(ロ) ところが樋笠は同年三月九日の第二九回公判において、検察官から五菱興業における身分や職務を問われたのに対し「渡辺重明さんの使い走りでございます。何というんですか書類を届けたり、それから銀行のお使いをしたり、そういうことをやっておりました」と答え、更に「経理関係の仕事もやっておったんですか」との問に対しては「五菱興業には経理というはっきりしたものはございません。すべて渡辺重明さん一人の個人会社のようなものでございまして、渡辺重明さんのほうで全部そういうものをご自身でおつけになっていたようでした」(以上記録一二一九丁裏から一二二〇表)。と共述して、渡辺の前記供述を否定しており、樋笠自身は会社の経理事務に全く関与していなかったことを明らかにしているのである。

(ハ) また樋笠は、前記公判において「被告人との金銭の貸借関係には直接関与したことがない」旨(記録一二二一丁表)供述し、元金の借入れや元利の返済に関する記録についての検察官の問に対しては「渡辺重明さんが持っていらっしゃる手帳あるいはメモのようなものから書き出されたものを私が清書したものである」旨(記録一二二一丁裏)を答え、五菱興業には、通常、会社に備えつけられている日常の業務の過程を記載した帳簿類は存在しなかったことを明らかにしている。

(ニ) 更に樋笠は、前記公判において「五菱興業が手形を振出す場合の手続はなく、渡辺が自分で行い、樋笠自身は関与していなかった」旨(記録一二二八丁表)供述しており、また検察官の「五菱興業が貫井さんに対して振り出した手形とか小切手というのは、きちんと落ちていたんでしょうか」との問に対し「いえ落ちておりません」と答え「その表によって貫井さんに対して現実に利息として振出された手形小切手のうち、決済されているものがどれだけあるということはお分りですか」との問に対し「私は全部承知していないんですが」(以上記録一二四四丁表から裏)と答えていて、約束手形や小切手の決済の実際について正確には知らないことを認めているのである。

(ホ) そのほか、樋笠は同年五月八日の第三〇回公判においても弁護人(佐藤)の問に対し「貫井からの借入の交渉や手形の交付、現金授受等の事務を担当したのは渡辺であって、樋笠自身は現実に立会ったことは一度もない」旨供述しており、また「会計の帳面で各債権者別の借入台帳のようなものはなく、経理の帳面というものもなく、ほとんど全部渡辺がやっていた」旨(以上記録一二九四丁表から一二九六丁表)供述しているのである。

(二) 以上の供述を概観するとき、渡辺は帳簿は倒産時の混乱の際に散逸した旨供述しており、また経理は樋笠が担当していた旨供述しているけれども、樋笠は経理担当者であったことを否定し、経理はもっぱら渡辺自身が担当していたが、正規の帳簿類はなかったことを明らかにしていて、五菱興業の経理に関する事務(もっとも経理事務と言えるほどのものはなかったと思われるが)の処理は極めて杜撰なものであって、後日収支の実態を正確に把握することは甚だ困難な実情にあったことが認められるのである。

従って、一覧表や明細書作成の資料となったメモや手帳は、渡辺によって随時記入された程度のもので、日常の業務の過程において克明に且つ正確に記入された正規の帳簿類と異って不正確なものであることは否定できず、しかもこれらの写を渡辺から渡されて清書したに過ぎない樋笠が、たとえ原判決が指摘するように、銀行の当座取引帳簿、手形帳等と照会して一覧表や明細書を作成したとしても、またこれを渡辺がチエックしたとしても、資料の杜撰なことと、経理についてメモ程度のものしか作成しなかった渡辺のチエックでは、とうてい正確さを期待することはできない筈である。その上メモや手帳の原本は既に紛失して存在しないのである。

そして、五菱興業が倒産してから二年余を経過してから、国税局の指示によって作成された一覧表や明細書は、不充分な資料や作成者の記憶がないまま作成されたものであるから、不明な点を補うために当然に作成者樋笠や、関与した渡辺の判断によって誤って補足された部分があった筈であり、とうてい原判決が判示するような充分な資料ではない。

五、五菱興業では、被告人から融資を受けるほかはほとんど資金がなかったため、被告人に対して元本や利息を支払うことができないほど困窮していたものであるから、原判決のような多額の利息を支払うことはできなかった筈である。

この点は一覧表や明細書の信用性の問題と共に看過できない点である。そして、その窮状について

(一) 渡辺は、昭和五四年一月二六日の第二八回公判において、検察官の問に対し「利息の支払方法については、一応期日が来て決済がつかなければ切換えという形で金が足らない時は新たに借りて前の手形を落すというやり方でつないできた」旨(記録一一七二丁裏)供述し、また「利息は必らずしも約束通りきちんと払えなかった」旨(記録一一七三丁表)供述し、更に元本についても「当初の約束通りに返還できず、最後まで返還できなかった」旨(記録一一七四丁表)を供述している。

(二) そのほか、渡辺は前記公判において、検察官から「それまでの間に貫井さんに現実に支払った。つまり利息支払のために渡しておいて期日に落すことができたものにおよそどのくらいの金額であったというふうにご記憶ですか」と問われたのに対し「細かいことはよくわからないですね」「落せるものは落したと思うんですが大半はジャンプしたと思います」「ジャンプしたほうが多い」(以上記録一一九一丁裏)と供述し、資力がなくて、多額の利息を支払う能力がなかったことを告白しているのである。

(三) 以上の渡辺の供述から、倒産まで元本の返済ができなかったことや五菱興業が被告人に対し、多額の利息を支払う能力がなく、従って原判示のような多額の利息を支払っていないことが充分に推測されるのである。

六、五菱興業では、被告人に振出した約束手形及び小切手の決済ができなかったので、被告人が資金をまわして決済していた。

従って、右約束手形及び小切手が銀行決済されているからといって、五菱興業がこれを支払ったものということはできない。

(一) この主張に対し、原判決は「被告人が所論のように何らの利益を得ることなしに五菱興業にかわって同社に対する貸付の決済をすることはとうてい考えられないところ、被告人が五菱興業振出の約束手形及び小切手を利息もとらずに自己の資金で決済したことについては、被告人が供述しているだけであってこれを裏付ける証拠がない、云々」と一般論的立場からその主張を斥けている。

しかしながら、これは被告人と五菱興業との間の特別な金銭貸借関係を理解しないことから生じた誤りであるというべきである。

(二) 被告人は五菱興業に対し、特別な条件で貸付をしたものである旨を主張しており、

(イ) まず、昭和五四年一〇月二日の第三二回公判において、弁護人(佐藤)から「五菱興業に対し最初に貸付けた三、五〇〇萬円の弁済期や月九分の利息の支払」について問われたのに対し「返済は売上げたときに払うか、若しくは分譲土地を一括第三者に転売をしたときに払うと、いずれかの方法で払うと、こういう約束でした」(記録一三八三丁表)と答え、更に金利については「これは第一回の一か月分の金利を手形で切っていただいて、そうして後は、その土地が処分されてから利息を計算して支払うと、こういうお約束でした。毎月ではないんです」(記録一三八三丁裏)と供述している。

すなわち、被告人は元本の弁済期は土地が売却できたときという不確定期限のものであったこと、従って毎月利息の支払を受ける約束がなかったという特別な契約であったことを明らかにしている。

(ロ) また被告人は前記公判において「いまだ土地が売れなかったため、元金の約束手形を取立てにまわすことなく、待ってくれと懇請された際に書替えるのみで倒産まで遂に返済を受けなかったことや、第一回の利息分の約束手形を銀行決済にまわしたが、五菱興業には金が一銭もないため、結局は被告人が決済した旨」(記録一三八六丁裏から一三八七丁裏)供述し

(ハ) 更に被告人は前記公判において、自ら銀行決済をした事情について、五菱興業から「とにかく売れる予定の土地が売れなかったこと、今手形を不渡りにすると営業面に大きな支障が出るんだと、すまないけど、一回限り出してほしいと言うので、私が東邦信用金庫の岩波か川和のどっちかだと思いますが、それにお願いして私の口座から引出して決済した」旨(記録一三八八丁裏から一三八九丁裏)具体的に供述しているのである。

(ニ) そのほか、被告人は前記公判において、弁護人(佐藤)から、東邦信用金庫で決済された金利について「東邦の取立てに回した分で、あなたがお金を出して決済したというのは、どのくらいの回数になりますか」と問われたのに対し「まず七〇%これを超えるんじゃないかと私は考えますね」「五菱というのはとにかく一文無しの会社なんですから出発当時から全く一文無しの会社なんですから」(以上記録一四〇一丁表)と答え、資金をまわして決済せざるを得なかった実情を明らかにしているのである。

(三) これに対し、原判決は被告人の主張を前記のような理由で否定したが、これは前記のような被告人と五菱興業との金銭貸借契約の特殊性を看過したか、あるいは無視したものであって、貸付から倒産まで、五菱興業から元本の返済がなかったという客観的事実を併せ考えるとき、簡単に被告人の供述を裏付ける証拠がないという原判決の判断は失当である。

七、そして、原判決が採用した証拠を検討するとき、原判決は被告人の合理的な供述を含むすべての供述を全く無視し、渡辺や樋笠の供述を全面的に採用し、一覧表及び明細書に誤りがない旨を強調しているが、多額の負債を返済せず、しかも倒産して債権者に多大の損害を与えている無責任な渡辺と、その元従業員である樋笠のあいまいな点が多い供述が果して原判決が信頼するほど信用性のある証言であろうか。

(個別的に)

一、被告人は昭和四八年中に五菱興業から利息三、三〇〇萬円を受領したことはない。

その経緯と理由は、前記貸倒損の事実に関連するため、前記第一、(貸倒損)において詳細に言及したので、ここでは弁護人の主張と事実の要旨を明らかにする。

(一) 五菱興業が被告人に対し、昭和四七年七月末頃までに振出した約束手形及び小切手の総額は第一、二、記載のとおり一億九、〇〇〇萬円である。

そのうち、貸付元本は第一、三、(三)(イ)(ロ)(ホ)及び五、記載のとおり、京橋堂手形等四、五〇〇萬円を含めて一億六、八〇〇萬円である。

(二) ところが、第一、六、記載のとおり被告人は五菱興業の債務の保証人矢本新平と昭和四八年四月一七日私法上の和解をして、同日付合意書の手形目録八通、合計一億四、五〇〇萬円について、同月二三日矢本から一億円の支払を受け、その余の保証債務を免除した。

従って、この時点における元本残債務は六、八〇〇萬円となった。

(三) しかし、被告人は渡辺の懇請を受け、第一、七、記載のとおり昭和四八年四月二二日付合意書にもとずいて、矢本新平より支払を受けた一億円のうちから、渡辺に対し改めて五、三〇〇萬円を融資した。ところが、検察官はこのうち三〇〇萬円は利息であるとして旨主張し、原審において争われたが、原判決は検察官の主張を認めてこれを利息と認定したがこれは事実誤認であって、被告人の供述と合意書記載の文言等により五、三〇〇萬円全額が貸付元本であることは第七、(四)ないし(六)において明らかにしたところである。

(四) そして、五、三〇〇萬円を元本として貸付けた際、被告人は渡辺から右五、三〇〇萬円に三、〇〇〇萬円を加えた合計八、三〇〇萬円の松島建築研究所振出の小切手の交付を受けたが、右三、〇〇〇萬円は被告人の第一、七、(三)(四)の供述、第一、七、(一)(二)記載の渡辺の供述及び第一、八、記載の事情等によって認められるとおり、京橋堂手形等四、五〇〇萬円の元本債務に対する弁済の一部であって、利息ではない。なお、八、三〇〇萬円の小切手は決済された。

(五) 従って、貸倒損について論じた際に言及したとおり、貸付けた五、三〇〇萬円はすべて元本であって、三〇〇萬円の利息を含むものではなく、また八、三〇〇萬円は京橋堂手形等による元本債務四、五〇〇萬円に対する弁済の一部として受領したものであって、その詳細は第一、八、において明らかにしたところである。

それ故、三、三〇〇萬円を被告人の利息収入と判示した原判決は事実を誤認しているものである。

二、被告人は、五菱興業から昭和四六年一一月四日三〇〇萬円、昭和四七年三月一五日七〇〇萬円の利息を受領したことはない。

(一) この点について、弁護人は原審において、昭和四六年一一月四日の三〇〇萬円は三菱銀行上野支店の小切手で決済され、昭和四七年三月一五日の七〇〇萬円は太陽神戸銀行上野支店の約束手形で決済されたこととされているが、一覧表では決済になっていないし、右小切手及び約束手形は被告人の取引銀行である東邦信用西荻窪支店において取立をした事実はない旨主張した。

(二) これに対し、原判決は一覧表に支払済の記載がないことは認めながら、川和正夫の検察官に対する供述調書(甲一200)、明細書等によれば右小切手及び約束手形が取立てにまわされ、決済されたことは明らかであり、証人樋笠岩雄が間違いない旨供述している旨の理由で弁護人の主張を排斥している。

(三) そこで、まず東邦信用金庫西荻窪支店の職員川和正夫の検察官に対する昭和五〇年二月一九日付供述調書添付の上申書の昭和四六年一一月四日の摘要欄を検討するに、同欄には三〇〇萬円の決済について「不明」と記載されている。

次に同じ信用金庫支店の職員泰孝司の検察官に対する昭和五〇年二月一八日付供述調書添付の関係書面を検討するに、同書面には昭和四七年三月一五日には七〇〇萬円の約束手形の決済に関する記載は見当らない。

(四) ところが、原判決は樋笠作成の明細書等によって、いずれも決済された旨判示しているが、原判決が採用したこれらの証拠は第二、四、に記載したような事情があって不正確なものであり、また決済銀行について調査した結果のものではないから信用性のないものである。

従って、これらによって前記各利息の収入を認定した原判決は事実を誤認している。

三、被告人は、五菱興業から昭和四七年六月二五日七六萬円の利息を受領したことはない。

(一) これについて、弁護人は原審において、七六萬円は一覧表及び明細書によれば、京橋堂振出の額面七七六萬円の約束手形のうちの七六萬円であり、協和銀行京橋支店で決済されたこととされているが、被告人は右約束手形を取引銀行にまわして決済を受けた事実はない旨主張した。

(二) これに対し、原判決は額面七七六萬円の約束手形が被告人の取引銀行から取立てにまわっていないことは所論のとおりであるとしながらも、証人樋笠岩男、同渡辺重明の各公判調書の供述部分、一覧表及び明細書を証拠として弁護人の主張を斥けている。

(三) しかしながら、原判決が採用した各証拠については、第二、四、に記載したとおりの事情があって直ちに措信できるものではなく、これもまた決済銀行に照会して確認した結果のものではないから信用性がない。

従って、これらの各証拠によって、前記利息の収入を確定した原判決は事実を誤認している。

桜井治兵衛関係

一、貸倒損について

弁護人は、原審において被告人の桜井治兵衛に対する貸付金について、昭和四七年中に金三、二二〇萬円の貸倒損又は債権放棄があると主張した。

これに対して、原判決は桜井治兵衛が右借受金の返済能力がないといえないし、債権放棄の事実もないとして弁護人の主張を排斥したが、これについて左の事実誤認、法令適用の誤り、判決に理由を附せない違法がある。

第一点 原判決は「桜井治兵衛は昭和四七年二月当時、保谷土地、狭山土地等を所有し、これを担保として、保谷農協から約四億六、五〇〇萬円の融資を受け、被告人からの借入金の返済、事業資金として約二億五、〇〇〇〇萬円乃至二億六、〇〇〇萬円を使用したほか、残額二億円を保谷農協に預金したこと・・中略・・(株)丸増に対して、同年八月一日保谷の土地約一、八〇〇坪を三億一、〇〇〇萬円で売却して停止条件付所有権移転登記の仮登記をし、同年九月一日狭山の土地を売却した」と認定し、あたかも保谷農協からの四億六、五〇〇萬円の借入れに対して、預金二億円、土地売却代金三億一、〇〇〇萬円、外狭山の土地売却代の資産合計五億一、〇〇〇萬円以上を有していて、四、五〇〇萬円に狭山の土地売却代金相当分の資金余力があったように認定している。

しかし、右認定は事実誤認である。

(1) 桜井治兵衛は、昭和四七年二月に、保谷農協から四億六、五〇〇萬円の借入れをしたが、当時すでに同人は保谷農協から一億五、〇〇〇萬円位の借入れがあり、右四億六、五〇〇萬円を借入れることによって、借入金合計は約六億円となっていた。この事は、昭和五七年四月一四日の公判廷において桜井が左の通り証言していることで明らかである(原審記録二一〇九丁)

問「農協からどれだけ借りたんですか」

答「四億五、〇〇〇萬です」

それ迄の農協からの借入について

問「いくら借りていましたか」

答「一億五、〇〇〇萬か一億四、〇〇〇萬」

問「合計でいくらですか」

答「合計で約六億です」

この六億円の借入れに対して、仮りに二億円の預金があったとしても、四億円を実質借入れて、これについて保谷の土地に担保が設定されていたものである(符四〇、桜井治兵衛と題する書面綴内登記簿謄本)。

右農協に対する四億円の負債の返済のために、保谷の土地を三億一、〇〇〇萬円で売却し、なお農協への支払及び税金等の支払に不足するために狭山の土地を売却してしまったのである。この両売却土地は、当時桜井所有の全不動産であって、この売却代金を以って担保権者である農協に返済することによって、桜井には資産が全くなくなったのである。

(2) 原判決は、右の如き、桜井の資産・借入の関係を正確に認定しないで、あたかも資産売却によって、桜井が四、五〇〇萬円以上の売得金を手中にして被告人に元金返済の資力が充分にあったように認定したことは事実誤認である。

第二点 原判決は、桜井治兵衛と丸増との間で「昭和五九年七月和解成立し、桜井治兵衛は(株)丸増より保谷の土地の返還を受けた」と認定したが、右認定は事実誤認である。

桜井治兵衛が丸増より保谷の土地の返還を受けたと認められる証拠は全くない。

桜井治兵衛が昭和四七年に丸増に売却した保谷の土地は、その後同人の所有となったものはない。弁第一六号証一登記簿謄本でも明らかなとおり、保谷の土地は丸増買受後、桜井治兵衛が買戻すことはなく、同人の身内である桜井重雄が丸増から譲受けたものである。

原判決が、何等の証拠に基ずかず桜井治兵衛が丸増から土地の返還を受けて、土地所有権を回復したような認定をしたことは事実誤認である。

第三点 原判決は「桜井が保谷の土地について被告人からの借入金の担保として極度額七、〇〇〇萬円の根抵当権を設定した」「右根抵当権登記が被告人の貸付金債権を担保するためになされたことは被告人が捜査段階で認めていることであり、有効な登記であることは証拠関係上明らかである」として、被告人の貸付元本の回収が可能であったと認定しているが法令の適用を誤ったものである。

(1) 右被告人の根抵当権は、桜井が保谷の土地を(株)丸増に売却し、同社のために、売却地の内、農地部分のみに昭和四七年八月一日条件付所有権仮登記がされ、これにおくれて同年九月二〇日に被告人のために設定登記がされたものである。

従って、被告人の登記は丸増の仮登記に対抗できないものであった。

丸増は、桜井が保谷の売却地に被告人のために根抵当権を設定したことを背任として、桜井を告訴していた(原審記録二一一九裏)。

被告人もこの際取調べを受け、東京地方八王子支部検察官からの勧告で右根抵当権を抹消したが、この勧告は単に抹消せよと云われて、これに被告人が承諾したものでない。この勧告は、被告人の根抵当権設定が背任罪に当るので抹消しなければ処罰される上、右登記が丸増の仮登記に対抗できないものであるとの理由によるものであることは当然である。被告人は、この理由による検察官の勧告に従って、根抵当権の抹消登記に応じたものである。従って、被告人の根抵当権設定登記は、丸増の仮登記に対抗し得ないもので、担保力のないものであった。

(2) 原判決は、右の如き被告人の根抵当権に担保力があり、回収能力があったと認定したことは、丸増の仮登記の対抗力を認めないことでもあり、登記の対抗力に関する法令の適用を誤ったものである。

第四点 原判決は、弁護人の桜井に対する貸倒の主張に対して、同人は昭和四七年当時無資力でなかったとして弁護人の主張を排斥した。

桜井は昭和四七年に全所有土地を売却して、保谷農協からの借入れを返済し、なお債務が残っていたことは、同人がその後破産申立を受けたことでも疑う余地がないのである。

原判決が、当時桜井に被告人に対する弁済の資力があったとして、弁護人の貸倒の主張を排斥するためには、証拠にもとずいて、当時の桜井の具体的な資産状況・毎月の収入等を明らかにして、桜井が無資力でなく、被告人の債権が桜井の資産等から取立のできることの理由を附せなければならない。

しかるに、原判決は昭和四七年当時の桜井の資力・収入等を明らかにすることなく、弁護人の貸倒主張を排斥したことは判決に理由を附していないものである。

株式会社丸越関係

第一点 原判決は、被告人の株式会社丸越に昭和四六年一二月二九日金一、〇〇〇萬円を貸付け、これが貸倒れとなったという主張に対して、

「大野隆夫が(株)大野不動産あるいは(株)丸越の代表取締役であって、本件青森の土地の取引以後も不動産取引を継続して行っていたもので、昭和四八年当時も被告人からの一、〇〇〇萬円の借入金返済能力がなかったと云えないと供述していることから、(株)丸越あるいは手形裏書人である大野隆夫が支払能力がないといえないばかりか、手形振出人である桜井治兵衛にも支払能力があった」と認定している。

しかし、右認定は事実誤認である。

(1) (株)丸越又は、大野隆夫には一、〇〇〇萬円を支払うべき資産は全くない。

昭和四七年当時、(株)丸越又は大野隆夫に一、〇〇〇萬円の大金を返済する能力があったとするためには、当時の丸越の資産状況が、この支払に当てるべき資産があり、営業活動から利益をあげていたことを立証されていなければならないが、これ等を証明するものは全くない。単に同社が不動産取引を継続していたということのみで、同社に返済能力があったとみることは誤りである。

被告人の昭和五七年一二月二一日公判廷での供述で

問「大野なり丸越という会社の財産は何かあったですか」

答「何にもないです、調べたら」

「大野という人は桜井さんが二億からだまされた人だから、やっぱり我々じゃちょっと無理だったような気がする」と述べている。

(2) 桜井治兵衛自身、大野隆夫に多額の金員をだまし取られ、昭和四七年当時一億円以上の債権を(株)丸越又は大野に対して有して、その取立が不能となっていることは桜井の昭和五七年四月一四日の公判廷の証言で明らかである(原審記録二〇九四丁、二一〇五丁、二一三三丁)。

(3) 桜井自身、昭和四七年末には無資力となっていたことは前述のとおりである。

(4) 従って、原判決が丸越に対する貸付金が取立可能であると認定したことは事実誤認である。

山本安彦関係

第一点 原判決は、弁護人が、被告人の山本に対する貸金三、〇〇〇萬円の利息のうち、昭和四七年三月一四日受取ったとされている二七〇萬円について争った点に対して、弁護人の主張を排斥し、右利息の支払を認定したことは事実誤認である。

(1) 原判決は、昭和四七年三月一四日に山本の被告人からの借入金三、〇〇〇萬円と五〇〇萬円の清算を大浜の土地の代物弁済で行った際に、二七〇萬円の利息を支払ったと認定しているが、昭和五〇年一〇月二〇日の山本安彦の証言(原審記録七三九丁、七四〇丁)によれば、当時の同人の状況は

問「昭和四七年三月ごろ、あなたのほうの資金繰りは苦しかったですか」

答「苦しかったです」

問「その時大金ができるような状態でしたか」

答「とてもできるような状態でなかったです」

問「門間さんと二人で東京に行ったとき現金を相当持って行きましたか」

答「私たちはとてもそんな、自分のうちの生活もできないくらいゆるくないときですから、お金なんか持って行けませんでした」

と証言している。

この状況からみても、当時山本に二七〇萬円の利息を支払う余裕が全くなかったことが窺える。

当時の山本の資金状況は、甲一の九一山本建設山本安彦の長万部信用金庫の当座預金の証明書でも判明する。山本の当座には昭和四七年三月当時、残高が数萬円単位のものしかなく、資金に困窮していたことが判明し、同人の前記証言が信用できることを裏付けている。

(2) 右山本の証言は、次の門間賢司の昭和五二年一〇月二一日の証言(記録八二四丁、八二五丁)でも、更に、裏付けされている。

問「そのとき(三月一四日上京のときの意味)に山本は相当まとまった何百萬円かの現金を持って北海道から東京に行ったの」

答「いいえ」

問「お金を持っていってない」

答「ええ」

問「東京へ行って、その話合いの席か何かで、山本が二七〇萬円貫井に払ったというようなことはないの」

答「ないです」

問「当時、山本は金に困って、そんな金ができる状態じゃなかったの」

答「はい、そうです」

山本は昭和四七年三月当時、金策に窮して、大浜の土地代物弁済にして被告人との間を清算するために上京して来たのである。

この状況からして、山本に金二七〇萬金の金策ができたと考えることは不自然である。

(3) 原判決は、前記山本の証言を被告人から有利な証言をするよう慫慂された疑いがあるとして措信できない旨を述べている。

しかし、被告人は、山本に前記の如き証言を頼んだことはない。右証言は、門間の証言とも一致し、当時の山本の資金状況からみても充分に措信できるものである。

原判決は、公判廷で反対尋問にさらされている証言を全く措信しないで、証言と検察官調書の相違があれば検察官調書を安易に採用して、事実を誤認したものである。

第二点 原判決は、弁護人の昭和四七年又は四八年中の七〇〇萬円の横領による損金主張について、弁護人の主張を排斥したが、この原判決は左の事実誤認がある。

(1) 弁護人は、昭和四七年三月一四日山本安彦から同人に対する三、五〇〇萬円の貸金の代物弁済として大浜の土地を取得し、同土地内の架橋工事代金として金二〇〇萬円を山本に支払い、右土地を転売の便宜のために斎藤忠亮名義にしておいた処、同人は昭和四七年一〇月に右土地を有限会社第一物産に五、〇〇〇萬円で売却して売得金を消費し、無資力となり、被告人が支出した合計三、七〇〇萬円のうち三、〇〇〇萬円のみを根抵当権の実行で回収したのみで、七〇〇萬円は斎藤の土地横領によって損害を受けたので損金として所得より控除されるべきものと主張した。

(2) 原判決は、弁護人の右主張に対して、被告人が貸付三、五〇〇萬円の代物弁済として大浜の土地を取得して、これを斎藤忠亮に四、一〇〇萬円で売却したものと認定したが、架橋工事代金として二〇〇萬円の支出を認定していないことは事実誤認である。

第三点 原判決は、弁護人の金七〇〇萬円の損金主張について理由を附してない違法がある。

(1) 弁護人の主張の要点は、被告人が山本安彦から取得した大浜の土地を斎藤忠亮に四、一〇〇萬円で売却したものであるか、或いは、これを便宜斎藤忠亮の所有名義にしたものであるかの法律問題は別として、被告人が大浜の土地取得のために支出した三、七〇〇萬円は斎藤忠亮より回収すべきものであるところ、同人は昭和四七年中に無資力となり、大浜の土地に設定してあった債権極度額三、〇〇〇萬円の根抵当権の範囲でしか回収不可能になり七〇〇萬円は取立不能になったもので損金として所得から控除されるべきものであるとするものである。

(2) これに対して原判決は、昭和四七・八年当時、斎藤忠亮に対する売買代金回収は不可能でないと判示した。

被告人・弁護人には右七〇〇萬円が回収不能であるとの立証義務はなく、検察官に斎藤忠亮の資産・収入を証明して回収可能であることの立証の義務があるが、この立証は全くなかった。原判決が弁護人の主張を排斥するためには、検察官の立証によって、斎藤の資産・収入等から回収可能であった理由を附さなければならないが、何等この理由を附していない違法がある。

門間賢司関係

第一点 原判決は、被告人が昭和四六年一一月二七日金八〇〇萬円の利息支払を受けたと認定しているが、これは事実誤認である。

(1) 門間賢司の昭和五二年一〇月二一日付証人尋問調書によると要旨左の通り供述している。

(イ) 被告人の紹介で五菱興業に昭和五二年一〇月二一日富野の土地を二、〇〇〇萬円で売却した。

(ロ) 五菱興業の会社で、この代金のうち一、二〇〇萬円受取る。

(ハ) 後日、東京の被告人の所で残金八〇〇萬円を受取った。

(2) 門間賢司は、検察官には二、〇〇〇萬円のうち一、二〇〇萬円のみを受取り、八〇〇萬円は手形割引の利息として被告人に払った旨を供述している。この供述は、自分が二、〇〇〇萬円受取ったとしては、これに対して譲渡所得税が賦課されることから、脱税のため土地代として受取ったのは一、二〇〇萬円のみであると虚偽の供述をしたものであるにすぎない。

(3) 原判決は、公開の法廷での門間の証言を措信しないで、密室の取調室での門間の虚偽の証言を信用して、事実を誤認したものである。

山口泰治関係

第一点 原判決は、被告人が昭和四八年三月三〇日金三、六〇〇萬円を山口泰治に貸付け、山口は同月三〇日ころと同年九月二九日ころの二回に亘って各三六〇萬円の利息を支払った旨を認定しているが、これは事実誤認である。

(1) 山口泰治の公判廷での証言で明らかなように、右金銭消費貸借についての交渉は一切が小川公吉が行い、山口が支払ったとする二回に亘る各三六〇萬円の利息支払も総て山口から小川に手渡されている。

この事実は、右貸借が山口に対する関係では被告人が貸主になっているが、実質的には小川公吉が山口に貸付けたもので、同人の利ざや稼ぎのために行われたものであることを証明して充分である。

従って、山口が支払ったとされている利息金合計七二〇萬円が実際に支払われたとすると小川公吉が受取ったもので被告人の手許には来ていない。

(2) 原判決は、小川と山口との貸借関係の実質を誤ったもので事実誤認である。

目黒忠関係

第一点 原判決は、被告人と目黒忠個人との間で昭和四八年六月一六日金二、〇〇〇萬円の貸借があり、同人は同年七月から一二月迄の間金三九〇萬円の利息を支払ったと認定したが、右は事実誤認である。

(1) 被告人との金銭消費貸借は株式会社メグロとの間で行われたものであることは、弁第一三号証の一・二金銭借用証書・金銭消費貸借公正証書でも明らかなように借主株式会社メグロとなっていることで疑う余地はない。

右借入の返済のために振出された約束手形弁第一五号証の一・二の振出人が株式会社メグロとなっていることでも借主が同社であって、原判決の認定のように借主が目黒忠ではない。

(2) 株式会社メグロは、昭和四八年九月迄、二、〇〇〇萬円に対する利息を約定どおり各月六〇萬円を支払ったが、以後の支払をしていないことは、被告人の手許に期日が昭和四八年一〇月一六日になっている弁第一五号証の一・二の約束手形が保管されていることで明らかである。

(3) 原判決は、目黒忠の公判廷での虚偽の証言を措信し事実認定を誤ったものである。

量刑不当について

一、被告人は、原判決において

(1)昭和四六年中、利息・和解承諾料として

金二五〇、四三〇、五八四円

(2)昭和四七年中、利息・債権譲渡益・モーテル収入等として

金二一〇、七四〇、二九九円

(3)昭和四八年中、利息・モーテル収入として

金一四三、二五五、四九八円

の事業収入をあげたとされている。

右三年間、合計六〇四、四二六、三八一円の事業収入を得たことになっている。

しかし、この認定自体が過大であることは、本控訴趣意書で詳述したとおりである。特に

(1) 横田忠次関係の昭和四六年中の一億六五〇萬円余の利息収入は事実誤認で実際の収入は二、〇六五萬円で実に八、五八五萬円が過大な認定である。

更に、同人関係の昭和四七年中の債権譲渡益三、一七八萬円余、利息収入のうち一、一〇〇萬円余の合計四、二七八萬円は過大な認定で、同年中貸倒損金四、六三五萬円は過少認定で、実際の貸倒れは八、六九五萬円で四、四一七萬円の過少認定であって、所得総額で八、六九五萬円を過大認定したものである。

横田関係で昭和四六・四七年で実に合計一億七、二八〇萬円余は所得のないものに課税されたことになっている。

(2) 五菱興業関係では、昭和四八年中の利益収入三、三〇〇萬円は明らかに事実誤認であり、貸倒金八〇〇萬円は過少認定で実際の貸倒金三、八〇〇萬円で三、〇〇〇萬円の過少認定である。五菱関係のみで昭和四八年所得だけでも六、三〇〇萬円が過大な所得として認定されている。

右横田・五菱関係の過剰所得認定のみで二億三、五八〇萬円となっている。

その外、原判決認定のうち桜井治兵衛の貸付残元本三、一二〇萬円、株式会社丸越の未収利息・残元本一三、〇二四、六五六円、斎藤忠亮に対する残土地代七〇〇萬円、株式会社国殖に対する残元本一、〇〇〇萬円の合計六一、二二四、六五六円は全く取立不可で今後も回収見込はない。

小川公吉に対する貸付残元本二億二、五〇〇萬円の大部分も現在迄回収ができなくて被告人は苦労をしているのが現状である。

これ等、横田・五菱関係の過大所得の認定、その他桜井をはじめとする回収不能金、小川公吉関係の未収の残元本等を合計すると実に五億二、二〇〇萬円弱となる。

従って、原判決認定では右三年間の所得六億四四二萬円余となっているが、実質的には僅か八、二四八萬円程度である。

その余の金額は、今後小川関係での回収が見込まれるものゝ被告人の実質的所得となっていないのが実情である。

二、被告人は、国税当局より昭和四四年より昭和四八年度迄の所得について過大な認定を受け、これの納税のために先祖伝来の土地を売却しなければならなくなり、すでに売却金より三億四、二〇〇萬円余を納税ずみである。

原判決は、被告人が二億円の運転資金を秘匿しているが如き認定をしているが(八一丁)、被告人にこの様な資金余剰があれば、先祖伝来の土地を売却して、その譲渡所得をも納付した上で、更正決定を受けている昭和四四年度以降の所得税の支払にあてることはしない。

三、被告人は、本件以後全く貸金業を廃止し、本件が新聞等で報道されたゝめ極度に肩身の狭い思いをし、現在仙台のホテルに身を寄せ、自宅に帰ることすら遠慮しなければならない思いをしている。

その上、被告人は病身で本件で未決拘留中に胃潰瘍を患い、出所後その手術を受けたが、その後病気がちで健康を回復する迄に至っていない。

四、被告人は、所得税額が最終的に確定したときは、先祖伝来の残土地を処分しても全額納付する意思であり、すでに国税当局から不動産の差押を受けていて、これをのがれることはできない現状である。

五、以上の各情状を斟酌する場合、被告人に懲役の実刑を科することは酷なことであり、懲役刑について執行猶予を附し、罰金を科すことで充分であると思料されますので、原判決の量刑は不当であり取消を求める次第である。

以上

別表(一) 修正損益計算書

貫井一雄

自 昭和46年1月1日

至 昭和46年12月31日

〈省略〉

別表(二) 修正損益計算書

貫井一雄

自 昭和47年1月1日

至 昭和47年12月31日

〈省略〉

別表(三) 修正損益計算書

貫井一雄

自 昭和48年1月1日

至 昭和48年12月31日

〈省略〉

別表(四) 税額計算書

〈省略〉

別表(五) 貸付先別課税利息一覧表

〈省略〉

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